ロングインタビュー
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ヘッドホン、マイクロホンの開発・製造で世界のトップランドを目指し、たゆみない前進を続けているオーディオテクニカ(町田市西成瀬)の本社新社屋が今年1月に竣工した。外観、内装とも透明感あふれる明るい建物の中には創業以来の同社の記憶と現在の鼓動、そして未来に向けたチャレンジのエネルギーが詰まっている。創
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食品包装用品・各種厨房機器などの包装用機械販売を主な業務にする三和紙業(相模原市中央区上溝)の藤本都子(みやこ)社長は、父が創業し母が受け継いだ会社の3代目社長。就任当時から持ち前のリーダーシップを発揮して思い切った経営改革を行い、その後も津久井湖畔のせんべい製造企業を買い取って食品事業に乗り出し
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横山房男さん(72)は富士山の裾野、静岡県十里木の生まれ。10歳までここで育ち、その後相模湖プレジャーフォレストの近くに移り、青春時代を過ごした。高校卒業後、サラリーマン生活を送ったが、わずか2年で退職、独立した。その後も有為転変の日々を過ごし、自動販売機関連の仕事や手作り弁当の製造・販売業などに
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開業から24年目を迎える竹村クリニック(相模原市南区)の竹村克二院長(66)は長野県の出身。中学・高校生の頃、自宅で長く病の床についていた祖母を手厚く往診し、最期を看取ってくれた医師への感謝の気持ちが、自分も医師を志す動機になった。東京医科歯科大に学び、卒業後は第一外科学教室に入局。心臓外科、消化
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橋本生まれで橋本駅北口のB‘sモールで歯科医院を経営する佐藤文彦さん(48)は、今年で開院64周年になる3代続く歯科医師。幼い頃から父の診療室と隣合わせの部屋で育ち、「歯医者の匂いは父の匂い」と回想するほど、歯科診療になじんでいた。大学卒業後、友達に誘われて2年ほど沖縄の診療所に勤めた後、橋本に里
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月森清一さん(65、東亜警備保障代表取締役)が島根県立大田高校を卒業して国士舘大に進学したのは46年前。入学とほとんど同時に始めたのが警備員のアルバイトだった。最初は「こんな働き口があるのか」と驚いたほどなじみの無い仕事だったが、その後もずっと警備業界で働き、今は相模大野に本社を構えて「敬愛される
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相模原市緑区の押田産業会長の押田成夫さん(80)は旧相模湖町の山里で会社を興し、自らピラミッド型経営と名付ける多角経営で独自の道を歩み、このほど社長の職を息子にゆずって悠悠自適の生活に入った。創意工夫を重ね、病を克服しながら経営を続けて来た押田さんは、ふるさとの川、道志川に誰にも負けない愛着を持ち
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相模原を芸術のあふれる街にしたいー橋本欽至さん(ハシモトコーポレーション代表取締役会長)はこんな夢を描いて実現にむけた活動に奔走している。市内の芸術家たちと親交を深め、市民の力で芸術と文化のまちづくりを目指すグループを立ち上げ、市内芸術家の展覧会や中国・無錫市との日中交流絵画展を開催するなど多くの
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日本アイエムアイ(相模原市中央区矢部)代表取締役の板橋清さん(65)はまだ黎明期にあった日本のエレクトロニクス産業のセールス分野で経験を積み1985年、35歳のときに創業した。当初は電子機器の製造を主要な業務にしていたが、バブル崩壊後は自社ブランドを持つ開発メーカーに転身し、生産工場向けのFA機器
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FMさがみは83・9MHzのコミュニティ放送局。地域の情報発信源だ。相模原市と隣接する地域のとれたて生情報や幅広い分野の個性的なパーソナリティによるトーク番組、リラックスできる音楽番組、身近な不動産法律相談などのほか、「市長と語る」「さがみはら高校生クラブ」「どうなる明日の相模原」といった多彩なプ