藤本都子さん、新聞やにも積極参入/亡父と母から経営受け継ぐ


今も父親を敬慕する藤本さん

今も父親を敬慕する藤本さん

 食品包装用品・各種厨房機器などの包装用機械販売を主な業務にする三和紙業(相模原市中央区上溝)の藤本都子(みやこ)社長は、父が創業し母が受け継いだ会社の3代目社長。就任当時から持ち前のリーダーシップを発揮して思い切った経営改革を行い、その後も津久井湖畔のせんべい製造企業を買い取って食品事業に乗り出したほか、おととしには中央区南橋本に介護施設を開設して事業の幅を広げた。いまは子息への事業継承の準備を進めているが、各種団体の役員も務めて忙しい日々を送っている。
(編集委員・戸塚忠良/2016年4月20日号掲載)

■お転婆少女

 東京・中野に生まれ、羽田空港に近い東京・大田区で育った藤本さんは、幼い頃から自他ともに認めるお転婆少女。女の子ばかりのままごと遊びより、男の子と一緒の缶蹴りに夢中になるほど行動的だった。

 芸能界にも興味を持ち、父母に内緒で映画の子役に応募し、いくつかエキストラ出演したあと、中学1年生のとき時代劇に子役のメインキャストとして出演する話があったが、学校と両立ができないためあきらめた思い出がある。

 父親の武夫さんは、都子さんが生まれた翌年、1953年に自宅で人造竹皮の製造業を始めた。素材の紙の裁断から印刷、ろう引き、仕上げまで一枚一枚手作りで作業する仕事だが、商売は順調に伸びた。

 一家が生活していたのは、商店街の真ん中のせまい土地で、1階が自宅と食堂、2階が工場の建物だった。業績が伸びるにつれて独立した工場を持つ必要に迫られ、武夫さんがいろいろ探して「ここは第二の東京になる」と白羽の矢を立てたのが相模原だった。64年に南橋本に工場を新設した。

■父の急死

 平穏な日々が続いていたが、藤本さんが高校生になって間もない68年、一家は最も大きな悲劇に見舞われる。武夫さんが納品のため東京と相模原を車で往復する途中で事故に遭い、急逝したのである。

 「人に優しく接する、尊敬できる父親でした」と、今でも声を湿らせて回想する都子さんにとって、武夫さんの突然の他界が言葉では言い表せないほど痛切な衝撃だったのは言うまでもない。

 20人ほどの従業員を抱えていた会社は母親の豊子さんが引き継ぐことになり、仕事の大変さを知っていた藤本さんは「自分がいては足手まといになるかも知れない」と考え、山梨県都留市にあるおじの家に身を寄せた。「山梨にはいとこも多く、寂しくはありませんでした」という。

 高校卒業後は総合小売業のユニーに就職した。「高校を出たら独立しろという父の言葉の通りになりました」。子供服売り場を担当したかったが、経理部門に配属され、経理の合理化に奮闘した。

■社長への道のり

 2年半ほどして、母が経営する三和紙業に転職営業担当者として活躍した藤本さんは、「男の人に負けないぞ」という強い意志を持ち、「営業の第一歩は、経営者の奥さんと仲良くすること」という独自の営業戦略を実践。ナンバーワンの成績を収めた経歴もある。

 母・豊子さんの後継者として社長に就任したのは2007年。このときも「父の作った会社を絶対に継続させる」という思いが支えだった。長男の宗一郎さんが協力してくれたのも心強かった。

 就任早々、会社の業務を見直す中で、あるスーパーとの取引条件が変更されることに着目。「これでは負担増になる。取引を続けるメリットが無い」と判断して撤退に踏み切った。社内から批判の声は出なかった。

 社屋を現在地に移転したときには、長年の取引先の社員たちが自発的に手伝ってくれた。

■新分野に参入

 一方、新分野への進出には積極的だ。全国菓子博覧会で内閣総理大臣賞を受賞したブランデーせんべいなどを製造している「津久井せんべい本舗」を買い取って食品事業部を立ち上げた。「付加価値が高い商品。営業を強化すれば売り上げを増やせる」と見込み、店舗裏の津久井湖を望むカフェレストランと一体で買い取った。

 また、高齢の豊子さんが骨折して老人保健施設に入ったのをきっかけに福祉施設への関心を深めた藤本さんは14年、フランチャイズに参加する形で、デイサービスセンター「だんらんの家 南橋本」を開設して介護事業にも参入した。

 自社のメイン業務である食品包装用品の販売の将来について楽観視してはいないものの、「包装材料なら何でもあるのが当社の強み」と力を込めて話す。

 「企業家にとって何より大切なのは人脈」という信念を持つ藤本さんにとって異業種経営者との交流は自己啓発の場となっており、相模原市橋本倫理法人会では会長、相模原法人会では常任理事・女性部会長を務めている。

 充実した日々を過ごす中で、長男・宗一郎さんへの事業承継を進めている。「父の作った会社を私の代で終わらせない」という思いを支えにして一心不乱に経営してきた会社のかじ取りを、その思いともども4代目に託す考えだ。

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