ロングインタビュー
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東京オリンピックが開かれた1964年、相模原市新磯で地元出身の兄弟2人が小さな印刷会社を創業した。社名は日相印刷工業有限会社。「日本へ相模の名を広めたい」という思いが込められていた。印刷技術とその社会的なニーズが激変する時代の中で常に先進的な取り組みを重ね、市内外の大学関係の仕事を中心に発展を続け
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座右の銘は「人は人、吾は吾、とにかく吾はわが道をゆく」―。前・相模原市議会議員の溝渕誠之さん(92)は、ことし4月投開票の市議選挙で、最下位当選者と一票差で落選。48年の市議生活に幕を引いた。引退後は、自身が設立した誠心幼稚園の園長として、園内設備の設置や維持管理に汗を流す日々だ。自ら耕した3反の
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公益社団法人相模原市病院協会会長の黒河内三郎さん(92)は長野県高遠の出身。日本医科大学を卒業後、母校の付属病院をはじめいくつかの病院で勤務医を経験。1959年に総合相模更生病院の外科医長に就任して相模原の地を踏んだ。専門の消化器外科で敏腕を振い、副院長を務めたあと、64年に黒河内外科医院(同市南
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創立40周年を迎えた相模原間税会(会員数350)。前身は1974年7月に発足した、相模原税務署管内物品税協力会。民間事業者による納税協力団体だ。93年に現在の名称になり、鈴木泰生さん(㈱ジュベール・スズキ代表取締湯役)はその年から今に至るまでの22年間にわたって会長を務めている。若い世代や市民を対
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鈴蘭学園(中央区矢部)は、引きこもりや不登校の子どもたちに安心して過ごせる場を提供するフリースクール。代表の中村鳴美さん(心理カウンセラー)は自分も子育に深く悩み“うつ”に近い状態を経験したことがあり、8年前に鈴蘭学園を開設した。今年4月に現在地に移転し、夜の学習支援事業にも着手。NP0化の手続き
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「人の心は七変化。ころころ変わります。だからどんなに断られても同じ相手に7回は営業に行きます。営業という仕事は相手の心をつかむことが目的だと思います」。総合フードサービス「オリーブの実」(相模原市中央区上溝)代表取締役の須賀節子さんは元気あふれる声でこう語る。言葉通りの精力的な営業活動を20年にわ
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花や植物を主な素材とする造形アート、フラワーデザインの世界で数々の実績を積み重ねている相模原市上溝出身の伊藤順子さん。公益社団法人日本フラワーデザイナー協会(NFD)名誉本部講師、NFD試験コンクール審査員など第一級の資格を持ち、制作者としてもさまざまなニーズに応えている。今年になって地元での活動
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NPO法人緑のダム北相模は、前身を含め1998年から相模湖を望む嵐山の森(相模原市緑区)を整備する活動に取り組んでいる。毎月1回、ボランティアが間伐、下刈り、枝打ち、植樹などの地道な作業を続けており、現在は甲州街道沿いの小原の森にも活動の場を広げている。「森林破壊という負の遺産を子孫に残してはなら
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相模原市緑区橋本で税理士事務所を経営している青木一彦さん(74)。社会保険労務士、行政書士の資格も持ち、相続などに関する相談にもていねいに応じている。会計ソフトの普及に伴う企業の自社記帳、いわゆる自計化を勧奨する一方、税理士ならではの専門知識を生かし、クライアント企業の発展にもつながる適正な経理を
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プラスチック成形品製造販売と金型設計製作の駒沢化成は近く、峡の原工業団地(相模原市緑区橋本台)内に本社と工場を全面移設する。中央区陽光台にある本社と、田名に設置している3つの工場を集約し、業務の集約化と効率化を図る。創業者の河野八朗代表取締役(81)は数十年前に、プラスチック製品が産業の主軸を占め