ロングインタビュー
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8月5日から7日まで3日間開催された「第65回橋本七夕まつり」は、34万人の人出でにぎわった。もともとは戦後の復興を目指して橋本駅周辺の商店経営者らが始めた行事で、まちと商店街との強い結び付きを物語っている。リニア新幹線の駅設置が話題になっている橋本だが、住民とともにまちづくりの土台を担うのは、設
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市内初となる個展を開いた遠藤彰子さん(68)は、相模原市南区西大沼にアトリエを構え47年間、近年は500号~1500号の大作を中心に描く。安井賞や文部科学大臣賞などの栄誉ある賞を受賞したほか、2014年に女性美術家として初の紫綬褒章を受章。武蔵野美術大学油絵学科の教鞭を取り、明日の芸術界を支える若
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ことし6月末に津久井湖ゴルフ倶楽部の社長を勇退した渡邉孝さん(88)。特攻志願兵として18歳で終戦をむかえ、中学校教師から30代で事業を起こし、時代の流れを先取りして転業を積み重ね、事業家として歩んできた。この半生をつづった自叙伝『起ち上げる勇気・退く知恵』(文芸社)をこのほど上梓した。半世紀にわ
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ギオン(相模原市中央区南橋本)は今年度、創業50周年を記念するさまざまな行事を行う。物流を事業の柱とする同社は、相模原市を拠点に半世紀にわたり着実な歩みを続け、時代の流れを先取りして事業を拡大してきた。記念行事は地元への感謝の気持ちを形にするためのもので、地方自治体や学校などへの寄付を行うほか、取
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「私のことではなく、会社のことを書いてほしい。会社を発展させたいし、残したいというのが一番強い思いだから」鈴木栄一さん(鈴木農園社長)は開口一番こう語った。その言葉には、梅干し製造業で独自の生産、販売システムを構築し、現在も事業を拡大させつつある経営者にふさわしい熱気がこもる。ミカン農家だった生家
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植田憲司さん(63)はJR淵野辺駅北口の「肉のハッピー」の2代目。淵野辺で生まれ育ち、青年期には九州・博多で商売の実際を肌で覚えた。スーパーなどの市内進出後は、どう生き残るかに知恵をしぼり、悩んだ末の結論は「父の代からの正直な商売を続けてお客様に喜んでもらうこと」だった。今年4月に発足した、にこに
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相模原芸術家協会(相芸協)会長の上條陽子さんは世界を駆け巡る画家だ。中東レバノンにあるパレスチナ難民キャンプへ足を運んで、子供たちに絵画を指導し、その作品を日本に紹介して平和と自由の大切さを訴える活動を10年あまりにわたって続け、中断した現在も難民、特に子供たちへの深い関心を持ち続けている。市美術
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相模原市中央区星が丘に生まれ育ったバレリーナの篠崎れい奈さん。9歳のときにバレエを習い始め、牧阿佐美、川口ゆり子、今村博明らに師事して数多くの舞台で活躍。現在は現役として活躍する一方、生家にバレエスタジオを開設して初心者からプロ志望の上級者まで幅広い人たちを指導している。小学校の卒業文集に「将来は
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町田・デザイン専門学校(町田市森野)の創設者で理事長を務める井上博行さん(75)は、幼き日に見た大工の夢を信じる力に変え、「1級・2級建築士」として実現。同市議を務めながら教育の改革に努める一方、技術やノウハウを後世に伝えようと専門学校の創設に乗り出す。ドイツのマイスター制度に魅せられ、日本のもの
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小星重治さん(72)は相模原市緑区相原に生まれ、県立相原高校に学んだあと小西六写真工業(現・コニカミノルタ)に入社。技術部に配属され、30代から40代にかけてつぎつぎに画期的な技術を開発し、紫綬褒章、科学技術庁長官賞をはじめとする数々の栄典や賞を受けた。現役引退後、「写真技術で社会に恩返ししたい」と