ロングインタビュー
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相模原市中央区由野台に会社を構える解体業の相模工業。創業者は伊藤農利夫会長(72)。前職は「航海士」という異色の経歴の持ち主だ。「船乗りになりたい」という幼い頃からの夢を実現させ、20代は世界の海を回った。しかし、30歳で転機が訪れる。それは「長男の誕生」と「ある事故」をきっかけに、勤めていた海運
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相模原市南区上鶴間に社を構える千寿産業の岩崎正三会長(80)は、中学3年の時に新潟から上京。新聞配達で学費や食費を稼いだ。大学進学失敗も、映画配給会社で新た道を見つけた。その後、経理部長として現在の千寿産業の前進である大町田スポーツセンターの立ち上げに関わった。株主募集や従業員の面接、建設業者との
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相模原市中央区上溝に会社を構える鉄筋工事の秋森鉄筋。マンホール1個から2000トンクラスの大きな仕事まで、幅広くこなす。同社を率いるのは創業者の秋森三男社長(61)。21歳で入社した鉄筋工の会社では、社長が急死。秋森社長がリーダーとして、仲間をまとめた。その後、全国各地に修業の旅へ。どんなに厳しい
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住宅のクロス工事を手掛けるタバタ室内装飾(相模原市中央区田名)。県内の同業者のなかでも指折りの規模を誇る優良企業でもある。そんな同社を率いるのが、創業者でもある田畑佐稔社長(46)だ。クロス貼り職人として、まだ〝半人前″だったにもかかわらず、勢いに任せて20歳で独立。莫大な借金を抱えながらも必死で
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相模原市中央区千代田に事務所を構える森会計事務所の森敏孝所長(68)は太平洋戦争時、東京空襲で家や親類を失った。それでも、めげずに生きた。大学で出会った「剣武」で武士道精神を学んだ。やがて税理士を志した。妻と子供3人を抱えた苦しい受験時代は、その精神を胸に、乗り越えた。そして、税理士として活躍する
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工学技術で人の命を守りたい。大和市上和田に地下の自然現象を予測するベンチャー企業がある。その名は「地層科学研究所」。代表を務める里優社長(58)は、元大手ゼネコンのエリート研究者。それがある事件をきっかけに、独立への決心が揺るぎないものに変わった。将来が約束されている訳ではない。明日の仕事も分から
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大型建設機械のネームプレート、OA機器や家電製品のコーション・マーク…。さまざまな場面でみかける工業用銘版。それらを手掛けるのが笠原特殊印刷(相模原市南区大野台)だ。笠原謙司社長は、33歳の時、父親である先代からバトンを受けた。大学卒業後はサラリーマン経験を経て入社。最初の5年間は苦しい修行の日々
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「整体占い さる山さる子」――一度聞いたら決して忘れられないインパクトのあるネーミングだ。これを店の名前にしたユニークな整体院が座間市相模が丘にできた。店主で全国唯一の「整体占い」を考案し、事業化したのが佐藤里栄子さんと友人でプロデューサーの進藤千津子さん。中国古来の算命学に基づき、心と体のケアと占
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かつてリストラを進めた幹部と、リストラされた社員たちが再挑戦している会社が、ここ相模原にある。中央区中央のIT(情報技術)企業、サンライズだ。創業者は紙透七藏社長(65)。大手企業に在籍していた時代、人員整理を進めるため、子会社に派遣された。断腸の思いで決行した紙透社長だったが、責任感が許さず自ら
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耐震偽装、姉歯事件といえば、まだ記憶に新しいところだがこの事件の舞台となり、入居早々に取り壊しを余儀なくされた藤沢市のマンションが住民の総意により、新たに一部賃貸方式のマンションとして見事に蘇った。この貴重な経験を生かしこうしたケースの支援をしようと、同マンションの管理組合代表として再建に奔走した