キマタ、職人魂で“直球勝負”/一歩先行く技術開発を


技術開発に余念がない木俣社長

技術開発に余念がない木俣社長


プレス金型に半世紀以上携わってきた職人がいる。横浜市港北区に本社を構えるキマタの木俣芳武社長(70)だ。中学卒業後、プレス金型の町工場に就職し、21才の若さで工場長に。その後、36才で独立。プレス金型の世界に新たな旋風を巻き起こそうと「カセット式金型」や「バリなし製造法」と新技術を発明してきた。70才になってもなお劣えない探求心で、今も現場で汗を流す木俣社長。その姿にものづくりの原点をみた。(船木 正尋/2014年3月20日号掲載)

■父の死を経験

 今年で創業35年を迎えるキマタ。現在は横浜市港北区に第3工場まで持つ大きな町工場にまでなった。木俣社長は東京都文京区出身。東京大学のお膝元で産声を上げた。
 しかし生まれて間もなく戦争疎開のため母の実家である千葉・九十九里に移り住んだ。男ばかりの5人兄弟。父は、石碑彫刻請負業として墓石に文字を刻んでいた。「父はノミなどの道具を自分で造っていました。今思えば、ものづくりの血を引いていたと思います」と笑いながら話す。
 そんな父が木俣社長、小学2年の時に、突然この世を去る。享年40才。母が女手一つで子ども5人を養った。当時は、生活が苦しく、主食は芋がゆだったという。「母は、女性にも関わらす土方をして家族を養っていました。その姿をみて自分も頑張らねばと感じました」と話す木俣社長。
 中学に進むと、家計のためにと近所のうずらの鶏卵業者でアルバイトを始めた。学校から帰ると日が沈むまで働いた。「とにかく家計を助けたいという一心でしたね」と当時の心境を語った。

■21才で工場長 

 中学卒業後は、東京・目黒区のプレス金型の町工場に就職した。現在の原点となる場所だ。朝6時に起床して、夜8時まで働いた。まさしく丁稚奉公だ。遊び盛りの16才。文句も言わずに働いた。ここまで頑張れたのは母の言葉があったからだという。 
木俣社長は言う。「就職する際に言われたんですよ『天職だと思って働くんだよ』って。その言葉を胸に懸命に働きました」と振り返る。
 そんな真面目な木俣社長だが、ちょっとしたいたずらもよくしていた。
 入社して半年後、工場にホンダのカブがやってきた。社長専用のバイクだ。乗りたいという気持ちが強くなり、木俣社長は合い鍵を製作したのだ。そして、鍵穴に差し込むと「ブルルン」と爆音を響かせ、そのままツーリングに出かけた。
 「何度か内緒で乗っていたら、社長に見つかって、こっぴどく叱られましたね。しかし、今まで習得した技術で合い鍵を造ることができ自信になりました」と苦笑いを浮かべながら話す木俣社長。
 入社5年を迎えたある日、転機が訪れる。当時の工場長が独立したのだ。周りを見渡せば、木俣社長が一番のベテラン。同期の4人も家庭の事情など工場を去っていった。
 そこで21才の木俣社長が工場町に大抜てきされた。
 「工場長になってプレッシャーはないと言った嘘になります。とにかくいい製品を造ることに集中しました」
 木俣社長は、改革に乗り出した。誰でも同じ加工ができるようにと、どんな加工で、どんな基準の寸法なのかなどデータ取りをしたのだ。これが研究開発の原点だったのかもしれない。
 そして、現場の長であっても経営にも目を向けなればと夜間の簿記学校にも通った。加えてビジネス書も読み漁り、自身の経営哲学を探り出した。
 「いろいろと経営について勉強するなかで自分の経営哲学を見つけました。それは『利潤の追求』。職人だった私は、いいものを造れば売れると思っていましたが、経営者としてはその意味が大きなことを知りました」

 ■独立の道歩む

 そして、27才の時に知人の紹介で、共同経営者を見つけ、金型製作の新会社を立ち上げることになった。メカ式のレジや公衆電話といった部品を手掛がけ、安定した経営を続けた。しかし、9年後の36才の時に共同経営者との経営方針の行き違いで、独立することを決意する。
 1981年に横浜市港北区でキマタを設立。当初は、自宅兼工場のプレハブで始まった。約40平方メートルの工場で、従業員7人が働いていた。
 「当時は休みなしで懸命に働きましたよ。午前3時まで仕事をしていたこともありました」と木俣社長。
 丁寧な仕事ぶりが評判を呼び、大手電機機器メーカーからの仕事も受注することになった。

■日々これ研究

 プレハブから始まったキタマは現在、約560平方メートルの敷地に第3工場を持つまでになった。
 今まで培ってきた技術を集大成させ、簡単にプレス金型が交換できる「カセット式金型」を発明した。さらに、バリのでない製造法も開発した。 
木俣社長は「ものづくりは終わりないですね。常に一歩先を行くことを考えなければならない。それが技術屋の姿です」と強調する。
 製造業の原点といえる技術力で真っ向勝負する木俣社長。さらなる研究を重ね、新技術を開発し、オンリーワン企業を狙う。

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