ロングインタビュー
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地元・上溝で開業して約20年の不動産業ムラタカンパニー(相模原市中央区上溝)。創業者の村田崇社長は「勝ちに行くのではなく、負けない気持ちを持つことが大切だ」と話す。「敗北」という辛酸を二度と舐めまいと誓ったのは、甲子園出場のかかった県大会決勝のグラウンド。最大のピンチと例えるリーマンショックでは、
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農業を基盤にした彩り豊かな活動を展開している都市型農園「「モナの丘」(相模原市南区下溝)。約4・4ヘクタールの広大な敷地でにんにくやトマト、長ねぎ、にんじんなど多種多様な野菜とハーブ、果実を栽培しており、レストランとバーベキュー設備も備え、人と人との出会いの場にもなっている。この健康とにぎわいの里
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たけのうち幼稚園(相模原市中央区東淵野辺)などを運営する学校法人小磯学園の小磯信一理事長は、少林寺拳法の道場を構え、教育方針にもその教えを採用している。県少林寺拳法連盟の副理事長や日本大学少林寺拳法部OB会の会長を務め、後進のみならず優れた指導者の育成にも成果を挙げている。「弱い自分を鍛えたかった
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丹沢山塊にそびえる県の最高峰・蛭ヶ岳。その山頂に立つ蛭ヶ岳山荘は登山者の安全と山岳スポーツ振興、そして遭難者の捜査・救助の拠点になっている。この山荘を管理運営するNPO北丹沢山岳センター理事長の杉本憲昭さん(75、緑区小渕)は、北丹沢を愛し、ふるさと藤野への愛着にあふれた半生を送り、今もトレイル競
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コメダ珈琲店、星乃珈琲店、スターバックスコーヒーなど―。相模原市内の国道16号沿線は、実は「大型カフェ店の激戦区」だ。そんな中、大手チェーンではなく大型のカフェ店を運営するのが、小田急江ノ島線・東林間駅近くにある「珈琲新鮮館」(同市南区上鶴間)だ。社長の沼田慎一郎さん(44)は、「カフェは大きい〝
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人はひとりで生きられない―。相模福祉村(相模原市中央区田名)の赤間一之代表が、自伝のタイトルに付けた言葉だ。「多くの人に助けられ、社会に支えられてきた」と振り返る。大手新聞社の新人記者として赴任した相模原。縁もゆかりもない土地だった。しかし、そこで出会った人びととの出会いが、その後の人生を支えてく
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ネット販売から実店舗開設へと展開し今年7月、緑区向原1―10― 45にオープンした「生涯スポーツ応援団」(富永一朗代表取締役)。社名そのままにグラウンドゴルフ、パークゴルフ、ゲートボール、ノルディックウォーキングをはじめとする生涯スポーツ用品の販売を手がけている。ネット市場での顧客は北海道から南の
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ミヤコ陸運やミヤコトランクルーム、ミヤコバスの3社の親会社である「ミヤコホールディングス」(相模原市緑区大島)の社長を務める鈴木亜喜男(72)さん。1942年、茨城県日立市で農家の次男として生まれ育った。運送業とトランクルーム事業、観光バス事業の3本柱でグループの基盤を築いた。それぞれの事業を3人
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相模原の隅々に法の恩恵を―。2002年の弁護士法の改正により、弁護士法人の設立が可能になったことを受け、神奈川県下で最初に弁護士法人を設立し、相模原市内に2カ所の法律事務所を構えるのが、弁護士の谷口隆良さん(70)だ。今年20周年を迎えた「横浜弁護士会相模原支部」の初代支部長を務め、かつては「横浜
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真に自立した相模原の創造を目指して―。相模原のまちを盛り上げようと市内在住・在勤の若者たちが集い、様々な地域貢献活動を行う市内最大の青年団体がある。相模原青年会議所(JC)の第49代理事長・佐々木亮一さん(38)は、そうした異業種のメンバー約160人を束ねるリーダーだ。仕事は家電製品の販売・電気工