ロングインタビュー

  • 03-6men - コピー

    モナの丘、野菜栽培と癒しの緑園/都市型農業の振興に挑む

     農業を基盤にした彩り豊かな活動を展開している都市型農園「「モナの丘」(相模原市南区下溝)。約4・4ヘクタールの広大な敷地でにんにくやトマト、長ねぎ、にんじんなど多種多様な野菜とハーブ、果実を栽培しており、レストランとバーベキュー設備も備え、人と人との出会いの場にもなっている。この健康とにぎわいの里

  • 03-4men-sasikae

    たけのうち幼稚園、教育方針に憲法の教え/大磯に姉妹園を開園

     たけのうち幼稚園(相模原市中央区東淵野辺)などを運営する学校法人小磯学園の小磯信一理事長は、少林寺拳法の道場を構え、教育方針にもその教えを採用している。県少林寺拳法連盟の副理事長や日本大学少林寺拳法部OB会の会長を務め、後進のみならず優れた指導者の育成にも成果を挙げている。「弱い自分を鍛えたかった

  • 03-4men - コピー

    杉本憲昭さん、山荘運営しトレイル振興/ふる里藤野と北丹沢を愛す

     丹沢山塊にそびえる県の最高峰・蛭ヶ岳。その山頂に立つ蛭ヶ岳山荘は登山者の安全と山岳スポーツ振興、そして遭難者の捜査・救助の拠点になっている。この山荘を管理運営するNPO北丹沢山岳センター理事長の杉本憲昭さん(75、緑区小渕)は、北丹沢を愛し、ふるさと藤野への愛着にあふれた半生を送り、今もトレイル競

  • 03-4men - コピー

    珈琲新鮮館、経験から学び事業多角化/ありがとうの連鎖を

     コメダ珈琲店、星乃珈琲店、スターバックスコーヒーなど―。相模原市内の国道16号沿線は、実は「大型カフェ店の激戦区」だ。そんな中、大手チェーンではなく大型のカフェ店を運営するのが、小田急江ノ島線・東林間駅近くにある「珈琲新鮮館」(同市南区上鶴間)だ。社長の沼田慎一郎さん(44)は、「カフェは大きい〝

  • 無料学習塾を計画する赤間会長

    相模福祉村、福祉で地域に恩返し/人はひとりで生きられない

     人はひとりで生きられない―。相模福祉村(相模原市中央区田名)の赤間一之代表が、自伝のタイトルに付けた言葉だ。「多くの人に助けられ、社会に支えられてきた」と振り返る。大手新聞社の新人記者として赴任した相模原。縁もゆかりもない土地だった。しかし、そこで出会った人びととの出会いが、その後の人生を支えてく

  • 03-4men - コピー

    生涯スポーツ応援団、豊富な在庫で需要に即応/ネット販売好調で実店舗開設

     ネット販売から実店舗開設へと展開し今年7月、緑区向原1―10― 45にオープンした「生涯スポーツ応援団」(富永一朗代表取締役)。社名そのままにグラウンドゴルフ、パークゴルフ、ゲートボール、ノルディックウォーキングをはじめとする生涯スポーツ用品の販売を手がけている。ネット市場での顧客は北海道から南の

  • 挑戦を続ける鈴木社長

    ミヤコホールディングス、重なる苦境乗り越える/「健全経営」で原価管理徹底

     ミヤコ陸運やミヤコトランクルーム、ミヤコバスの3社の親会社である「ミヤコホールディングス」(相模原市緑区大島)の社長を務める鈴木亜喜男(72)さん。1942年、茨城県日立市で農家の次男として生まれ育った。運送業とトランクルーム事業、観光バス事業の3本柱でグループの基盤を築いた。それぞれの事業を3人

  • 司法で地域活性化を目指す谷口弁護士

    谷口隆良弁護士、地裁支部創設に尽力/相模原の隅々に法の恩恵を

     相模原の隅々に法の恩恵を―。2002年の弁護士法の改正により、弁護士法人の設立が可能になったことを受け、神奈川県下で最初に弁護士法人を設立し、相模原市内に2カ所の法律事務所を構えるのが、弁護士の谷口隆良さん(70)だ。今年20周年を迎えた「横浜弁護士会相模原支部」の初代支部長を務め、かつては「横浜

  • 「相模原をよくしたい」と話す佐々木理事長

    相模原青年会議所、自立した相模原の創造目指す/独創性で活気あるまちへ

     真に自立した相模原の創造を目指して―。相模原のまちを盛り上げようと市内在住・在勤の若者たちが集い、様々な地域貢献活動を行う市内最大の青年団体がある。相模原青年会議所(JC)の第49代理事長・佐々木亮一さん(38)は、そうした異業種のメンバー約160人を束ねるリーダーだ。仕事は家電製品の販売・電気工

  • 03-4men - コピー

    ヘルスケア、医療器具滅菌で成功/「山びこ学校」の教え忘れず

     県北地域の健康・福祉増進の一翼を担う企業が、相模原市中央区横山にある「ヘルスケア」だ。創業者の川合貞義会長(78)は「ある程度、経営が落ち着いてくると、苦労は良い思い出になった」と半生を振り返る。1935年、山形県の雪深い山村・山元村(現・上山市)に六男一女の3男として生まれた。農山村の生活に密着