松若流分家家元 松若寿多恵さん、日本舞踊の道一筋に歩む/湯名舞台で照手姫を熱演


松若寿多恵さん

松若寿多恵さん


 21歳という若さで日本舞踊の松若流分家家元を継いで以来、「観る人の心を惹きつける芸を身に着けたい」との思いを胸に精進を重ねている松若寿多恵さん。相模原市南区にある稽古場で門弟を指導する日々を送り、一門の発表会や自身のリサイタル、ディナーショーなどの活動も続けてきた。「日本舞踊は日本人の感性の結晶です」と、人柄そのままの明るく凛とした口調で語る女流舞踊家の足跡を紹介する。(編集委員・戸塚忠良/2015年1月20日号掲載)

■家元継承

 大和市に生まれた松若さんは6歳のときから祖母の初代松若寿多恵さんに師事して踊りに親しみ、10代後半には深水流家元でもある女優の朝丘雪路の指導を受けた。

 挨拶と行儀作法の大切さを学び、新橋演舞場や明治座での朝丘の華麗な公演をまのあたりにして、多感な少女の胸は高鳴った。「いつか自分も大きな劇場で踊ってみたい」というあこがれを育んだことは言うまでもない。

 大きな夢を心に刻んで踊りの稽古に励んでいたある日、思いもしなかった悲しい転機が訪れる。祖母が突然逝去し、その跡継ぎとなったのである。まだ21歳の家元の誕生だった。

 「もっともっと踊りの修業をしなければと思っていましたし、家元としての仕事がどんなものかまったく知らなかったので、何もかも必死に勉強しました」という。

 人の和を大切にしながら懸命に流派の隆盛に努める若い家元の思いは弟子の心に通じ、松若流は着実な歩みを刻んでいく。そうした流れ中で、松若さんは「日本を代表する伝統芸能である日本舞踊を多くの人の間に広めることが家元としての大事な役割の一つ」という自覚を強く持つようになり、門下生の発表会のほか、自身の公演活動を積極的に繰り広げる。

 1991年に相模大野のグリーンホールでリサイタルを開催。長唄「京鹿子娘道成寺」と創作舞踊「鶴」を披露し、96年にも同じ舞台で長唄「鏡獅子」と創作「炎の女お七」を踊った。97年から2000年まではディナーショーを開き、気軽な雰囲気で日本舞踊を楽しんでもらう試みに挑戦。好評を博して松若流の名を広めた。

■国立劇場公演

 そして2001年、家元襲名15周年記念の公演は、松若さんの夢を実現する舞台となった。会場は国立劇場。演目は常磐津「将門」と創作「照手山月」。

 プログラムには朝丘雪路が祝辞を寄せ、「まあるい瞳がキラキラした明るいお嬢さんでした」と初対面のときの印象を語り、「あなたのお顔を見るたび、家元という重責の中いろいろな事を一歩一歩乗り越えて頑張っている御様子が伺えて、心配と安心をしておりました…益々美しく大輪の花へと成長することを願っております」と励ました。

 また当時の小川勇夫市長も「踊りという豊かな表現を通して照手姫の新しい魅力を引き出し、郷土に伝わる深い純愛の伝説を多くの方々に広めてくださることを期待しております」との祝辞を寄せた。

 晴れの舞台を踏んだ松若さんは、「将門」で芸術選奨受賞の舞踊界の俊英花柳基と共演し、「照手山月」では相模原に伝わる伝説の美女、照手姫を演じきって拍手を浴びた。

■所作と心

 大舞台での公演という夢をかなえた後も松若さんはその後も自己研鑽と流派の一層の発展に努め、門弟の指導、発表会、リサイタルなどを続けている。発表会に地元の老人会を招待するなど社会福祉にも貢献し、05年と07年に杜のホールはしもとでリサイタルを開催。11年には舞踊一筋に歩む寿多恵さんと一門を応援しようと、市内の産業人が後援会を結成するという嬉しい出来事もあった。14年には創立50周年記念のリサイタルを開催した。

 「最近、伝統芸能を継承するには若い人たちへの普及が何より必要と感じています」と話す通り、日本舞踊を次の世代に伝えることに力を注いでいる。若い世代にしっかりと身に着けてほしいと願っているのは、お辞儀と立ち居振る舞い。

 「日本人は一にも二にもお辞儀を大切にしてきました。きちんと扇子をおいて心をこめてお辞儀をすることが日本人の心と伝統を受け継ぐ気持ちを表す所作になると思います。立ち居振る舞いの根本には、ほかの人たちへの気遣い、不愉快にさせない心配りがあります。先人が培ってきたこまやかな心配りとその根底にある精神を伝えたいと願っています」

■人を磨く

 胸の内に熱い思いを燃やしながらも、稽古の前後には門弟たちとの和気あいあいとしたおしゃべりを楽しむ松若さん。約100人の弟子の中には家元襲名以来、変わらず支えてくれている人たちも多い。

 そうした門弟たちへの感謝の気持ちを持ち続ける松若さんは、「芸事とは本来、芸を磨き、人を磨くものだと思います。しっかりとした技術を身に着けるために死にもの狂いでお稽古をした先にあるのは自分を磨くことです。芸を磨くために人を磨き、人を磨くために芸を磨く、それが私の芸です」と、澄んだ眼差しで日本舞踊の真髄を語る。

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