永遠ボディー、類いまれな職人技を培わせたクルマへの憧憬と愛情


クルマへの愛情あふれる松村社長

クルマへの愛情あふれる松村社長


 磨いては乗って、また磨いては眺めて、時には手を加えて―。

 クルマはかつて心躍らされる玩具のような存在だった。子ども心に憧れ、法的にも酒や煙草より早く手が届く存在。ともすれば、人生の大半を費やしかねない魅力にあふれていた。

 ところが昨今、若者のクルマ離れが進んでいるという。

 「どれも石けん箱のようなクルマばかり。メーカーがクルマ離れにさせているんだよ」

 国内外ともクルマが最も魅力的であったといわれる1960年代から70年代のモデルを主体に、旧車のレストア、メンテナンス、カスタマイズを手掛ける永遠ボディー(相模原市緑区根小屋1118の1)の松村敬一社長は開口一番、こう話す。

 もちろん、この国のモータリゼーションは半世紀で途方もない進歩を遂げた。スペック上は、買い物や子どもの塾の送迎に女性が運転するエコカーが、かつてのスポーツカーを凌ぐほどの動力性能、足回り、剛性を備える。最先端の電子機器も満載だ。

 しかし、松村社長の江戸言葉は止まらない。

 「開発のベースにあるのが、若者にとってどんなクルマが魅力的かでなく、どんなクルマが儲かるかなんだ。レンジや洗濯機と一緒だよ」

 いや、高度経済成長期生まれのこちらとしても、諸手をあげてうなずくしかない。

 東京・品川の生まれ。58年、14歳で旋盤から職人の世界に入り、5年後、板金の道へ。ちまたを彩る魅力的なクルマたちが、この若者の進路を定めたのだ。

 ジャガー、ポルシェ、シボレー…。当時の主流は輸入車だったが、60年代後半あたりから国産車も魅力的なものになってきた。

 「街角に停まっているだけで見とれる。そんなクルマがあふれていた」と松村社長は振り返る。

 懐は豊かでなくても、勤める板金整備工場には次々と魅力的なクルマが入庫してくる。以来、大好きなクルマに接しながら腕を磨き、充実した日々を送ってきた。

 同社を起ち上げたのは87年。当初はバブル経済の追い風もあって、基幹の板金整備に加え新車・中古車販売も好調。一時は田名、麻溝台、由野台に事業所を構えたが、90年代半ば以降は徐々に縮小し、06年に全ての事業を現在の地に集約した。

 根小屋の事業所は、森と山に包まれた立地もさることながら、門扉から事務室、ガレージのデザインに至るまで、まさにカロッツェリアの風情。入庫しているクルマはマニア垂涎のものばかりである。

 レストアは単なるリペアではない。ボディ一つとってみても、傷や凹凸、腐食部分を板金やパテでリペアするだけでなく、必要なら木型を起こすなどして代替えパーツを一から作る。入庫期間が1年以上におよぶことも珍しくない。

 「板金で一人前になるには最低でも5年。ただ、職人は発明するわけじゃないからカリスマになっちゃダメだ。確たる手仕事としてその技術を次代に伝えたい」

 松村社長の厳しい口調の中に、クルマへの、ものづくりへの愛情をひしひしと感じる。(矢吹 彰/2014年12月1日号掲載)

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