サンタカラの望月さん、職人から経営者に思考転換/からあげ専門店を相模原に


グルメサイトや雑誌で上位を走り続けるラーメン店「麺や食堂」などを展開する「SANTACALA(サンタカラ)」(厚木市幸町9)は、相模原市緑区橋本の商業施設ラフロールにテイクアウト専門のからあげ店を出店した。老舗の高級しょうゆを使いながらも普段の食卓に並べられる価格に抑え、手を掛けずにもう1品おかずを加えたい主婦らに好評だ。家業を事業化し、会社を成長させるために職人から経営者の考え方に変え、人材育成や店舗展開を進める3代目・望月貴史さん(48)に話を聞いた。

サンタカラ □ラーメン一本勝負

店の起源は、祖父が戦後復興期の1954年、本厚木駅前でミルクホール「喫茶ブラジル」を開業した。当時、高価だったコーヒーより胃袋を満たすラーメンやカレーなどが人気になり、現地に移転してから、野菜炒め、しょうが焼き、かつ丼など、何でもある〝町の食堂〟となっていった。

3代目の望月さんは高校卒業後、語学留学のために渡米したが、家業の食堂を本格的に手伝うため20歳で帰国。バブル崩壊の影響などで業績は低迷を続け、食材や調味料を見直すなど家族で奮闘した。身も心もボロボロになり、「いよいよ店を閉めなければならない」と考えたのが28歳の時。第2子も生まれ、後にも引けぬ〝背水の陣〟で挑んだのがラーメンの1本勝負だった。

望月さんは「実は昔から食べ続けてきたせいで、ラーメンは嫌いだった」と胸の内を明かす。しかし、ラーメンで勝負しようと思ったのは、「数多くあるメニューの中で、父が一番大事にしていた料理だったから。小さな頃から慣れ親しんできた料理に人生を賭け、これで駄目なら諦めるしかないと思った」と振り返る。

ラーメン専門店として再スタートしてからは、寝る間も惜しんで5年間1日も休まずに働き、倒れて入院しても点滴を打ちながら店に立った。父が作った伝統のスープをベースに食材や調味料を調整し、時代に合う味を求めて色々な食材を試した。「それでも売上は伸びず、これといったスープも作れなかった」と言う。

週1日の休みをつくってはラーメンの食べ歩きに充てた。あの食材がいいと聞けばその食材を使い、ラーメン店の主人から聞いた作り方を実践した。いろいろな情報を聞きながら店のスープをどんどん変えていき「きょうのラーメンはおいしくないな」などと言われながら、意見をもとに次の日また味を改良した。食べた友人の一言は「普通」だった。

ラーメンはし好品で中毒性の高い味が売れると言われてきた。だが、「麺や食堂」の味はその逆。「炭酸飲料やコーヒーなど刺激が強い飲み物の中には必ずお茶がある。お茶のように身近な普通なラーメンをこれからもお客様に提供していきたい」 「お客さんに育ててもらったと言っても過言ではない」という「麺や食堂」は、化学調味料に頼らないラーメンで徐々に売上を伸ばしていった。

「今でも自分の納得できるラーメンは完成していない」と言うが、地域情報誌に掲載された頃、ようやく軌道に乗ってきたという手応えを感じ始めた。記事自体は小さかったが、これをきっかけにさまざまなメディアから取材を受けるようになった。

当時は「自分は職人」という意識が強く、理想の職人像を従業員にも求めるようになっていた。「仕事をすべて抱え込み、自分にしかできないと思っていた」と話す。振り返る。良いものを作りたいという思いとは裏腹に利益が出ず、さらに追い打ちを掛けるように11年3月の東日本大震災で売上が落ち続けていった。

従業員4人が辞め、「何で良かれと思っているのに裏目に出るのか」と考えていくと、良かれと思っていたことは自分のエゴに過ぎなかった。自分に都合の良い解釈に過ぎず、相手のためにはなってないことに初めて気付かされた。

□からあげ専門店へ

望月さんは「自分が現場に入って人件費を1人分浮かせる考え方ではなくて、店舗を増やして人件費以上の利益を生み出した方がいい」と考えるようになった。

「今の仕事は働きやすい環境をつくること」と話す。ラーメン店は仕込みで朝が早く閉店時間も遅いため、人手不足や働き方改革などの課題が山積み。従業員の労働環境を少人数、少額の投資で改善しようと始めたのがからあげ専門店だった。

からあげは誕生ではなく、復活したもの。食堂であった時代に地域の人たちに親しまれてきたメニューだ。「からあげを作るノウハウは食堂時代に積み重ねられていたし、材料はラーメンと共通するものが多い」。とは言え、からあげに合わせ、ラーメンに使うしょうゆとは異なる銘柄を選んだ。

ラーメンはヒゲタの濃い口しょうゆを使うが、「醤(しょう)油唐揚(からあ)げ」は創業嘉永7(1854)年の醸造所が作る「下総醤油」を使用。男性や子供が「あの味をもう一度食べたい」と癖になるよう、にんにくなどを合わせたたれに1日以上漬け込んで「インパクトある、濃い味付け」に仕上げた。

経営を改善したいという同志を全国のラーメン店主から募り、「ラーメン塾」と称する勉強会などで講師を務める。のれん分けしたからあげ店は、北海道から沖縄県まで広がりをみせている。「スエヒロ」「たけ田商店」「まきしま」などと屋号は自由で、契約金やロイヤリティーは取らない。

「子供お断り」というラーメン店も増えているが、同店では「子供のころ食べたラーメンの味が忘れられない。また食べたいと記憶に残る味」を目指している。「子供が食べるラーメンの味がカップ麺の味になってしまう。ラーメンの良さを子供の頃から知ってもらえれば、今後のラーメン業界にも貢献できる」と気を引き締める。

望月さんは「製麺所なども作り、地元の雇用促進や素材の地産地消に特化し、地域密着で県央地域を元気にしたい」と胸を張って語る。

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