佐々木正行氏、「人に寄り添う活動続ける」/市民御中相談に誠実に対応


防災リーダー「防災士」の資格も持つ

 防災リーダー「防災士」の資格も持つ



相模原市中央区選出の公明党県議、佐々木正行さん(54)は大手製薬会社に勤めていた頃、抜群の営業成績を収めていることが党関係者に注目され、県議選へ白羽の矢が立った。衆院議員の公設秘書を一年間務めたあと、07年の県議選に初出馬して当選。以来3期続けて議席を確保している。県会では医療、教育、福祉などの分野に力を入れているが、地元で市民の身近な相談に親身になって耳を傾けることも多く、「市民に寄り添う政治」の実践に忙しい毎日を送っている。

(編集委員・戸塚忠良/2018年8月1日号掲載)

■卓越したMR

佐々木さんは1963年、横浜市瀬谷区の出身。生家は政治家とは縁の無いサラリーマンの家庭で、中学・高校時代はバレーボールに熱中し、キャプテンも経験。スポーツ選手を夢みた時期もあったという。「今でも、体を動かすことと人を喜ばせるのが好きな性格は変わらない」と話す。

県立瀬谷西高を卒業後、東京工芸大工学部に進んで有機化学を専攻。薬のカプセルの専門的な研究などに励んだ。

就職先は世界的な医薬品メーカーの現・ファイザー。薬についての情報や知識を収集して医師や薬剤師に提供するMR(医薬情報提供者)として営業に奔走し、各地の医療機関関係者との交流を深めた。相模原でも北里大学病院や協同病院などとの人脈づくりに努めた実績がある。

「もともと人と会って話すのが好きな性格」に加え、「営業には相手の心をつかみ信頼を得ることがもっとも大事と考え、担当の医師に手書きの手紙を何度も送ったりした」という努力が実を結び、社内で全国一位の売り上げを記録して賞品の旅行券を母親にプレゼントしたこともあった。

■突然の転機

MRとしての生活は19年続き、福島県で赴任生活も経験した。人脈作りも極めて順調で、「このまま一生この仕事を続けていこう。今の会社で出世を目指していこうと思った」のは当然だろう。

だが、40歳を過ぎたばかりのとき思いがけない転機が訪れる。公明党の県議候補に、という話が持ち上がったのである。

本人にとっては晴天のへきれきだが、会社での活躍ぶりが党関係者の注目を集め、推薦の声が上がったに違いない。

「家族は大反対で、私もどうしようかとずいぶん悩みました。ただ、自分は今まで病気の患者さんと医師、医療業界の役に立ちたいという思いを支えに仕事をしてきたが、議員になればより広く社会の役に立つ活動ができるかも知れないと考え、決断しました」

■「何事も誠実に」

政治への最初の一歩は衆院議員の公設秘書。05年から一年間いろいろな現場でさまざまな人たちとの交流を経験し、07年の県議選に党公認で立候補して当選した。現在は連続3期目だ。

「議員としていちばん大切にしているのは、何事にも誠実に取り組むこと。市内の自治会の催しやお祭りなどで積極的に足を運び、市民の声に接しています。対応できる相談については市会議員と連携して実行することも少なくありません。地域経済の振興に向けたいろいろな団体との付き合いもありますし、医療関係の相談も多いですね」

そして、「地元出身ではないのに沢山の人たちから気軽に声をかけてもらえるようになった。それがいちばんうれしい」と話すように、地域とのつながりが強くなっていることは間違いない。

■『どまん中』

目下、力を入れて取り組んでいる課題の一つが、私立高校授業料の実質無償化。県は18年度から年収約590万円未満の世帯に拡充したが、党県議団は引き続き年収590万円以上の世帯への補助拡充などを求めている。

このほか、県営住宅の子ども貧困対策の強化、SNSによるいじめ相談の開設、震災復興のため派遣された県職員の経験を活用した震災復興対策マニュアルの見直しなどを訴えている。

「特別支援学校における医療的ケアが必要な児童・生徒の支援」は、医療のスペシャリストとしての政策提言の一つだ。

また、公明党市議団と一体になって相模原市における小児医療費助成の拡充の実現に向けた活動も長く続けている。

こうした活動を発信する広報紙のタイトルは、「Do Man NAKA」。表記通り「どまん中」だが、Doは「実行する」、Manは「人・男」、NAKAは「中央・中心」の意味を託している。

「一つ一つの案件の真ん中で自分にできることを全力で実行したいという思いを込めています。そうすることが自分の議員力を高めることにもつながると考えています」と、歯切れよく語る。

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