斉藤奈美さん、間伐材の天板提案で成果/NPO活動の最前線で活躍


「活動できるのは廻りのお陰」と斉藤さん

「活動できるのは廻りのお陰」と斉藤さん



25年前に相模原市で開催された都市緑化の全国イベントでコンパニオンを務めて以来、さまざまなボランティア活動を積み重ねている斉藤奈美さん(同市中央区)。NPO法人さがみはら環境活動ネットワーク会議理事という肩書を持つ一方、ごみ減量や森の保全と活用をめざすNPOでも活発に活動している。「自分にできることをしているだけです。もっと多くの人に参加してもらえるよう情報発信していきたい」と語る明るい表情に、気心通う仲間と一緒に相模原のまちづくりに参画しようという意欲がにじむ。(編集委員・戸塚忠良/2017年4月10日号掲載)

■公募に合格

斉藤さんは静岡県に生まれて福岡県で暮らし、結婚後に相模原市へ。「周りに知っている人は一人もいませんでした」という。

地縁も知人も無い斉藤さんがボランティア活動に足を踏み入れるきっかけになったのは、1992年に相模原市で開催された「第9回全国都市緑化フェア」。相模原パビリオンのイベントコンパニオンの公募に応じて合格した。

「何かしてみたいという気軽な動機で、子どももいましたから合格するとは思っていませんでした。仕事はナレーションや来賓の案内などで、楽しくできました」と回想する。

この経験が市職員や団体、企業関係者と知り合うことにつながり、今に至るボランテイア活動の糸口になった。

■広がる活動

緑化フェアの後、98年の「かながわ夢国体」、2001年の「ロボフェスタ神奈川相模原大会」といった広域イベントが相次いで催され、市から「手伝ってほしい」と声がかかった。緑化フェアでの『実績』が買われたことは間違いない。

また、市内のさまざまなイベントの司会やパネリストを任されたほか、企業、団体のセミナーの進行役を務め、多くの専門家や企業家の意見と体験談などを聞くことができたのは貴重な体験になった。人脈が広がるにつれて「相模原の人たちは人を受け容れる温かさを持っている」と感じるようになった。

地元に開局したFMさがみでも制作と運営に参加。「幼稚園に通う子どもを迎えに行けるように番組の構成を工夫したこともあります」と苦笑いを交えながら回想し、「女性が子育てしながら外で活動する難しさを肌で感じました」と実感のこもる声で話す。

■サポセン開設

新たな活動拠点になったのは、2002年に市が開設した「市民活動サポートセンター」。その立ち上げスタッフを任されて開設に向けた準備に奔走。先進地の横浜、鎌倉などの視察、全国のボランティアが集まった合宿研修への参加などを積み重ねる中で、新鮮な刺激を感じずにはいられなかった。

開設当初のサポセンでの企画はシンポジウムや講座の開催といった域を出なかったが、市民活動の新たな拠点を訪れる市民やNPOの中には障害者支援、高齢者介護、外国人支援をはじめ、切実な課題や悩みを抱えるグループが少なくない。市民活動についての斉藤さんの思いは深まる。

「障害を持つ人や外国籍の人たちを一生懸命に支援している人たちの活動は素晴らしいと思います。声の大きい人の意見ばかりでなく、小さい声の意見に耳を傾けることが大切だという気持ちが、自分の中で膨らんでいるのを感じています。その声をもっと多くの人たちに聴いてもらうためにも、自分のアンテナをできるだけ高く張って、情報発信に努めたい。大勢に迎合するのではなく、自分の頭で考えて正しいと思う方向に沿った情報を発信したいと思っています」

■うれしい成果

大学研究員として全国の盛んな商店街の繁栄の理由を探る研究をした経験もあるが、最近は環境をテーマにした活動が多い。その一つである「相模原いきごみ隊」は、生ごみを農家に提供して堆肥として活用してもらい、栽培され野菜を買い取るシステムで、ごみ減量に取り組んでいた。

市内の森の保全と活用を訴える、さがみ湖森・モノづくり研究所理事としても活躍し最近、うれしい成果があった。「津久井の間伐材を活用して学習机用の天板を作り、小学生一人ひとりに使ってもらう。また環境教育を実施する」という提案が実を結び、市内の小学校で木の温もりのある天板が使用されるようになったのだ。

協働事業の顕著な成果で、斉藤さんは「林業や建築業に携わる人たちの協力があったからこそ実現したと思います」と笑顔をのぞかせる。

環境活動の拠点にしていた市立環境情報センターの指定管理者業務が終わり目下、新しい拠点を模索中。「居場所探しです」と笑うが、「今まで協力してきた人たちに『ありがとう、これからもよろしく』と言いたいですね」という飾り気の無い言葉には、より多くの市民と連携していく意欲がこもる。

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