河野八朗さん、駒沢化成を創業・発展/プラスチック成形に半生を託し


「なせばなる」と語る河野さん

「なせばなる」と語る河野さん

 プラスチック成形品製造販売と金型設計製作の駒沢化成は近く、峡の原工業団地(相模原市緑区橋本台)内に本社と工場を全面移設する。中央区陽光台にある本社と、田名に設置している3つの工場を集約し、業務の集約化と効率化を図る。創業者の河野八朗代表取締役(81)は数十年前に、プラスチック製品が産業の主軸を占めるようになると予見し、周到な準備をした上で創業した。半生を支えているのは「他社ではできないことをする」という、あくなき開発魂だ。(編集委員・戸塚忠良/2015年5月10日号掲載)

■プラ製品に着目

 福島県郡山市出身の河野さんは郡山商業高校を卒業後、東京の製薬会社に就職。有力財界人が経営する会社だったが、経理は昔ながらの大福帳そのままで、今では当たり前の伝票や複式簿記による経営には程遠かった。この部門を任された河野さんは「これでは原価計算も経営管理もできない」と考え、伝票と簿記を活用して経理の近代化に貢献した。

 1960年前後からわが国におけるプラスチックの大量生産が始まり、製薬業界でも錠剤容器やスポイトなどの用具がガラス製からプラスチック製に変わる趨勢が強まった。「この変化を見て、これからはプラスチックの時代になると直観した」と河野さんは回想する。

 ひらめきを行動に生かし、プラスチックの製造業界に踏み込む決意を固めた河野さんは、18年間勤めた会社を辞め、プラスチック成形品の製造に欠かせない金型の知識と技術を身につけるため、東京・大田区の町工場で金型製作の勉強にはげむ。その期間は5年に及んだ。

■駒沢化成を創立

 76年9月、知り合いの会社があった相模原市淵野辺に有限会社駒沢化成を創立。自動車関連部品、自動車ドアロック関連部品を主力とする生産に着手した。

 しかし、創業当初から、受注した品物を作ることだけに甘んじていた訳ではない。「同じ物を同じように作るだけでは会社の成長はない。ほかの会社ができない事をしていこう」というのが河野さんの方針だった。今でも開発型企業であることに変わりはない。そしてこの発想が一つのエピソードを生む。

 駒沢化成が創業した当時、東芝のレコードプレーヤーの製造過程で透明なカバーに穴を開ける工程があり、それまでは直径15ミリの穴をあけていた。駒沢化成はこの穴の直径を1・2ミリに縮小する金型を開発して東芝に持ち込んだ。

 「東芝さんも最初は半信半疑でしたが、実際に使ってみると、仕上げの作業が必要なくなり、不良率が27%から0・03%に減少しました。省コスト化と省力化に貢献する開発ということで、大好評を得ました。特許を申請しようとしましたが、東芝から工場全体で使っている金型を全部駒沢化成のものにするからパテントを取るのはやめてくれと言われ、金型代と報奨金700万円をもらうだけにしました。この金型は今でも使われています」

■発展と集約化

 創業当初は玩具の部品製造なども手掛けたが、その後は自動車関連部品、センサを始めとする電子・電気・機械関連部品を主軸にして業績を伸ばし、81年に中央区田名に田名工場を新設した。
さらに本社事務所を中央区陽光台に新設し、田名第二工場、山梨工場、田名第三工場をあいついで新設。11年には中国上海市に生産拠点を設けた。12年には金型部門を新設し、第三工場に設備を導入するとともに、金型工場に名称変更した。

 この集大成として5月中に峡の原工業団地内に本社と市内3工場を集約する。作業の効率化により一層の短納期実現につなげるのが目的で、これまでどおり「お客様が何を要求しているかを第一に考えて仕事をする」という姿勢を貫きつつ、新たな生産態勢を整えて更なる発展を目指す。

 その一方で、地元の経済人との交流にも積極的だ。城南信用金庫淵野辺支店を交流拠点にする「白梅会」で親睦と情報交換を深めているだけでなく、会員企業7社が協力して節電危機「Aらまー(あらまー)」を開発・販売している。

■産業振興への想い

 直近の景気回復感は別にして、産業の海外流出に伴って国内の金型企業は減少の一途をたどって来た。自動車関連の企業は生き残るための工夫を求められている。

 こうした現状をにらんで河野さんは「活路はあるはずです。鉄道や航空機産業への参入も検討する価値があると思います。海外に視野を広げることも必要です。アジアハイウエイに着眼せよ、と言いたいですね」と力を込める。

 さらに、「自動車でも航空機でも開発のキーワードは軽量化。今後は炭素繊維をどう活用するかを考える必要が強まるでしょう」とも言い添える。

 創業時に「3年で黒字にしよう」という目標を立て、実現した実績を持ち、長い間にわたり目標を着実に達成してきた河野さんは「人に尽くす気持ちを忘れないこと、そして従業員への思いやりを持つこと。その気持ちを持ち続ければいつかは自分に返って来る」と経営信条を語る。

 明治学院大学で講演し、次代を担う若者たちにアドバイスを送る機会もある。そんなときは「夢を持て」と語りかけている。自分の半生と重なり合う言葉であることは間違いない。

…続きはご購読の上、紙面でどうぞ。