山口紀生さん、全国初の株式会社立小学校を創設/LCA国際小学校


著書も多い山口紀夫さん

著書も多い山口紀夫さん

  株式会社エル・シー・エー(緑区橋本台)代表取締役とLCA国際小学校校長を兼務する山口紀生さん(62)。横浜国大卒業後、市内の小学校の教諭を経て、子供たちが生き生きと楽しく学べる教育を目指して小さな私塾を開き、幼児向けの英会話スクールにも手を広げた。2つの教室は今、日本初の株式会社立小学校と、英語による幼児教育の幼稚園に成長している。わが国英語教育の新たな地平を拓いた山口さんは、これまでに蓄積したノウハウの活用・普及と、次なる構想実現への意欲を燃やしている。(編集委員・戸塚忠良/2015年4月20日号掲載)

■LCA誕生

 LCA国際小学校創立への最初の一歩になったのは85年に山口さんが開いた私塾「LCA」だった。塾生はわずか4人。「子どもたちが生き生きと学び、達成感を味わえる教育の場でありたい」という強い思いを支えに、学校の教科を教えるほかに釣りやキャンプ、スキー、自転車ツーリングなどを通じて生徒とふれあう私教育を実践。多くの人から注目され、次第に塾生が増えていった。

 そんな中、塾の行事の一つとしてアメリカでのホームステイを行ったとき、子どもたちが英語をほとんどしゃべれないことに衝撃を受け、「日本の英語教育には重大な欠陥があるのではないか」と考えた。そのため、90年にカナダ人教師を招へいして英会話スクールを開設し、児童の英語力の養成にも乗り出した。

 スクールでは通常の授業のほかキャンプやフェスティバルといったイベントを開催する工夫をこらしたが、子供たちの会話力は思うようには伸びず、山口さんは「ワンポイントで英語を習ってもそれを実際の会話で使う場がないことが伸びない原因になっている」と痛感。

 そこで計画したのは外国人教師が幼児に英語で教える幼稚園の開設。「幼児期に必要な教育を英語で行うことで、自然に楽しく英語を身に着けるプログラムを実践しようと考えた」と山口さん。こうして2000年にLCAインターナショナルプリスクールがスタートした。

■英語で授業

 幼児を豊かな英語環境の中で育てるというこのプログラムは多くの保護者から支持され、「卒園後もこのプログラムで教えてほしい」という声が殺到。英語による小学校教育を望むこうした声に押されて05年、LCAインターナショナルスクール小学部を開設するに至った。

 「LCAは英語を使って人間教育を実践するプログラムですが、決して日本語をないがしろにする教育ではありません。その正反対で、日本語による教育も大切にしています。日本人としての誇りを持ち、同時に国際人として世界に通用する人間教育を行うのがLCAの教育理念であり、それがぶれることは決してありません」と山口さん。

 この理念と保護者や支持者たちの熱い要望を力にして、山口さんは次の大きなステップを踏み出す。前例の無い、株式会社立小学校の創設である。

■小学校創設

 小学部はあくまで幼稚園に併設された私塾であり、文部科学省から正式な小学校としての認可を受けていなかった。このため、山口さんは自ら学校を作り、国の認可を取る活動に奔走した。しかし、「市に相談しても、始めは『とても無理』と相手にされなかった。それでも何回も足を運ぶうち理解してくれる人が出て来た。応援してくれる保護者たちの声も大きな後ろ盾になった」という。4年経ったとき、市の担当者が「申請してみましょう」と初めて首を縦に振った。

 08年、小泉内閣の構造改革特区を活用して全国初の株式会社立の小学校、LCA国際小学校が誕生。外国人教師が英語で教科を指導する形はそのまま継続することになった。直近14年の総生徒数は663人。スタッフのうち外国人教師はアメリカ、イギリス、オーストラリア、フィリピンなどを母国とする教職有資格者。

 スクール拡大に伴って学校敷地と校舎の確保も課題となり、幼稚園と小学校を分散した時期もあったが、緑区橋本台に5000平方メートルあまりの敷地を確保し、15年度3月、延べ床面積3458平方メートルの新校舎を完成させた。

 LCAが蓄積した英語教育のノウハウは教育界から着目されており今年度、外国人教師の一人を英語助手として都内に派遣しているのはその一例だ。

■新たな挑戦

 「節目節目で多くの理解者と協力者に恵まれてきましたが、今後の目標は二つあります。一つは出版事業を活発にして、LCAの教育理念とシステムを広く知ってもらい、英語教育の新しい可能性を知ってもらうこと。学校教育を大きく変えることになると思います」と山口さん。

 そしてもう一つは芸術カレッジの創設。「企業人が文化に関心を持ち、支援する時代がこなければならない。音楽、絵画、バレエなどの科目を設けて、世界から招いた優れた指導者が英語で指導するカレッジにしたい。この構想が実現すれば、アジアからの留学生が押し寄せ、人づくりに役立つだけでなく、日本文化をアジア、さらに世界に広める効果も期待できると考えています」。

 30年間にわたり積み重ねてきた実績を考え合わせれば、たんなる夢物語とは言えないだろう。「未来の日本のために役立つという信念を持ち続け、70歳までに実現したいですね。そのときには、会社も想像もつかないものになっていると思います」と笑う顔に活気があふれる。

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