コジテック、父から息子へ 回り道の事業承継が結実/金属製品のバフ研磨


職人と経営者の両立を目指す小島社長

職人と経営者の両立を目指す小島社長


 機械化、自動化、情報化がこれほど進んでも、職人の技術の礎は手仕事であり、それは人から人へと直伝されるものである。一種の「手の記憶」として伝えられなければ、技は確かなものにならない。

 金属加工の最終工程にあたる研磨も、まさにそんな技術の一つだ。

 バフ研磨一筋で創業43年目を迎えるコジテック(相模原市緑区中沢591の18、小島和浩社長)では、技は父から息子へと伝承されてきたが、そこに至るには紆余曲折があった。

 小島社長の父・常三氏が、町工場ひしめく蒲田、川崎で研磨職人として鍛錬を積んだ後、「小島研磨」を起業したのは1973年のこと。ただし、自前の工場は持たず出張仕事が主だから、72年生まれの息子は〝親父の背中〟を見ないで育った。

 高校卒業を控えても、古い職人気質の父から家業への誘いはない。そこで息子は、長らく打ち込んできた剣道の経験を生かせると警察官を志望するも、父の猛反対にあう。

 この件は相当応えたようで、「今も完全には消えないわだかまりの要因」と小島社長は振り返る。

 やむを得ず、卒業後は福祉専門学校に進学。93年に相模原市内の社会福祉法人に就職した。

 当時まだベンチャーの域にあった福祉の仕事は斬新で将来性もあったが、自身の思いと職場との微妙なずれを感じ4年で退職。警察官への未練もあって、社内スポーツ活動として武道に力を入れている警備会社への再就職を考えた。

 そんな折、母から家業の承継を勧められる。父からの命でなかったことで、むしろ冷静に判断することができた。

 「自分が腕を上げ会社を成長させれば、親父を超えられる」「これまで一家を支えてくれた父への恩返しにもなる」

 こうして97年、然るべき徒弟関係がようやく結ばれることとなったが、以後も親子の葛藤は続く。

 職人として、父親は容易に超えられる存在ではない。

 「少し腕が上がると親父の助言が煙たいが、他の職人の仕事ぶりを見るにつけ、自分の未熟さを痛感した」と小島社長。

 一方で、経営面では、得意先からの発注を待つだけの古い体質に強く反発。実際、同社は90年代末から10年ほど、かなり厳しい経営を強いられた。

 「時代の変化には自分のほうが敏感だったから、最後は自分の判断で打開を図った」

 07年に相模原商工会議所主催の起業塾に参加。これを機に専門家の経営指導を受け、10年にはコジテックを起業し、父から事業承継。13年には待望の法人化にこぎ着けた。

 並行して、5年前に建て替えた自宅敷地に小規模ながら作業場を設け、複数の小物の案件に対応できる環境を整えた。ユニークで明快な構成のホームページも好評で、新規受注につながる問い合わせも上々という。

 父子関係も現在良好。回り道は決して無駄になっていない。(矢吹 彰/2015年2月20日号掲載)

…続きはご購読の上、紙面でどうぞ。