サワ、発明の才で放つ矢がシリコンサイクルの谷間を埋める/半導体製造装置部品加工 ドアクローザー


喜寿を控え気力充実の佐波社長

喜寿を控え気力充実の佐波社長


 工業が盛んな相模原市とはいえ、旧藤野町あたりとなると、工業系企業はめっきり少なくなる。自然豊かな里山風景を見れば当然と思えるが、事業を営むのにこのエリアの環境は見かけほど悪くない。中央自動車道、JR中央本線は都心に直通。商取引や人の行き来において、古くから八王子との交流も盛んだ。

 市・県境をわずか数百メートル越えた上野原の高台に、約30社の工業系企業が集積する上野原工業団地がある。ここは90年代初頭から10年余りかけて造成されたが、計画から土地の買収まで全て民間主導という全国でもユニークな工業団地だ。

 「町(市制施行は05年)の協力が得られなかったので、自分たちで進めた。県の許認可、地権者との土地買収の折衝など大変だった」と振り返る佐波和氏は、同団地の造成に尽力した事業組合の中心人物。同氏が率いるサワ(山梨県上野原市上野原8154の34)は、半導体製造装置の部品加工を基幹事業とし、創業90年余の歴史を誇る。

 同社は1923年、佐波社長の父・芳雄氏が谷村町(現都留市)で創業。当初は織機の製造・販売・修理を行っていたが、戦時中に軍需工場として戦艦・飛行機用部品製造を手掛けたことから、戦後はプレス金型や加工用冶具の製造に進出した。

 63年、父の急逝により若干24歳で後を継いだ佐波社長は、斜陽にあった繊維産業関連から精密機械関連への事業転換を加速させて時流に同調。さらに、70年代に始まった半導体製造装置メーカー、東京エレクトロンとの取り引きが飛躍のきっかけになった。

 しばらくはシリコンサイクルに苦しんだ。そんな中で、景気の谷間を埋めるのに貢献したのが、独自方式の織機を考案した父親譲りの発明の才。県特産のすももの選別機やボーリングシューズの自動貸出機等を開発し、事業化で大成功を収めた。

 99年、その才を見込んだ建材メーカーから、従来型に代わるドアクローザーの開発依頼があった。8年余を経て佐波社長が導きだしたのは、真空装置のノウハウを応用した独自のエアダンパー機構を備えた蝶番一体型の「スーパーヒンジ」。

 ドアクローザーの主機能はドアがゆっくり閉まるようにすることだが、その上スーパーヒンジは、軽い力で開扉でき、扉の停止位置を自由に設定できる。ヒンジ部分での扉の脱着が容易。オイル漏れの心配なし。小型で装飾性に優れる。日曜大工で取り付け可能等、いいこと尽くめ。

 同社ではさらに、通用門などに使える両開きドア用クローザーもラインナップ。現在は直販が主だが、代理店やホームセンター等での販路開拓を進めている。

 「半導体関連が基幹であることに変わりはないが、衣食住に大きな関心がある。とりあえず既存の設備、技術を生かせる住の分野に注力したい」

 喜寿を控えてなお、佐波社長の気力は衰えを知らない。  (矢吹 彰/2015年1月1日号掲載)

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