うらたんざわ渓流釣場、自然と誠実に向き合う/雪崩災害も乗り越えて


釣場を運営する井上社長

釣場を運営する井上社長

神の川上流「うらたんざわ渓流釣場」

神の川上流「うらたんざわ渓流釣場」


 相模原市緑区青根を流れる道志川水系「神(かん)の川」。その最上流部の清流に知る人ぞ知る、フライとルアーフィッシング専門の渓流釣り場がある。それが「うらたんざわ渓流釣場」だ。シーズンには首都圏から多くの愛好者が訪れるこの釣場を運営するのが、2代目の井上克彦社長(55)。自然相手の仕事だけに、災害など何度も命の危険を経験した。遊びに訪れる我々には決して見えない、知られざるドラマがそこにあった。(本橋 幸弦/2014年9月1日号掲載)

 ■林業から釣場へ

 井上社長は生まれも育ちも青根。地元の青根小、青根中を卒業し、県立津久井高校に進学した。
 「生まれた時からアウトドアだった」と話す井上社長。幼い頃から川で遊び、釣をしたり、山に入ったり、豊かな自然がすぐ身近にあったという。
 高校時代は、山岳部で登山に熱中した。「北アルプスの夏登山が印象深い」と当時を振り返る。井上社長は「幼い頃から自然が大好きで、今の仕事に就く素地は、幼少の頃から養われていたのかもしれない」と話す。
 高校卒業後は、川崎市の美術専門学校に進んだ。絵が好きだったこともあり、油絵を学んだ。そして卒業後は、21歳で父親の家業であった林業に就いた。
 昭和50年代当時、県内の林業はまだまだ盛んで、山に入ってはスギやヒノキ、けやきなどを切り出した。しかし、「林業は将来、先細りすることが見えていた」と話す井上社長。そこで父と2人で始めたのが、渓流釣り場の運営だった。

 ■10年間は閑散と

 青根を流れる神の川の最上流部約1.5㌔㍍のエリアで、林業のかたわら、重機を使い造成を始めた。自然を相手に格闘しながら、2、3年かかって1983年、ついに「うらたんざわ渓流釣場」をオープンした。
 ところが、「最初の10年間は、ほとんどお客はこなかった」と井上社長は振り返る。
 当時は釣場までの道は舗装されておらず、電気はあったが、電話線はなく、郵便もこない場所だった。人の手が入っていない自然という最大の魅力は、アクセスの悪さというアキレス腱でもあった。
 現在は多くの釣りファンを魅了し、「神奈川の秘境」とも称されるが、認知されるまでには時間がかかった。
 釣り雑誌に広告を出すなどして、徐々に認知度があがると、リピーターが定着した。訪れた人は「神奈川にこんな豊かな自然があったのかと驚く」という。
 井上社長は「美しい水が最大の魅力」と胸をはる。神の川の澄んだ水は、すくって飲めるほどの清流だ。
 またエリアの半分は、自然のままの渓流であることも大きな魅力だ。大自然のなかで釣り人がフライを振る姿は実に絵になっている。
 魚はヤマメ、ニジマス、イワナを養殖し、定期的に放流。当初はエサ釣りもやっていたが、10年ほど前にフライ・ルアー専門釣場に切り替えた。
 「始めた頃、釣りはレジャーの1つとして定着していたが、今は遊びが多様化した。1つのことを追求し、本格的な釣場とすることで差別化した」と井上社長は話す。
 この転換が功を奏し、現在は東京や埼玉など関東圏から、年間約8000人もの愛好家が訪れる釣場となった。

■雪崩で命の危機

 自然を相手にした仕事だけに、災害などの理不尽な経験を何度もした。
 07年の台風9号では大きな被害をこうむった。養殖池の取水口が土砂で詰まると、魚が死んでしまう。そこで夜通し重機で土砂をかき出した。しかし水かさはどんどん増していく。「まさに命がけの作業だった」という。
 今年の2月には、なんと雪崩の被害にも遭った。14日の深夜1時頃、朝が早いため、釣場の管理棟で仮眠していた井上社長を建物ごと雪崩が襲ったのだ。「ふとんから出るのに2時間、建物から出るのに6時間かかった」という。外に出ると、無残な光景が広がっていた。一面真っ白、雪崩で川の魚が死んでいた。建物も車もなかった。幸い露出していた重機で、軽トラを掘り起し、車の無線で家族に安否は伝えられた。しかし、道が大雪のため孤立。死んだ魚と食パン4枚だけで4日間を過ごし、自力で山を下りた。
 「あと少しで死ぬところだった。土砂災害のニュースなどを見ると胸が詰まる」と話す井上社長。県内で雪崩災害があったとは驚きだが、これはまぎれもない事実だ。
 「どんな仕事も楽なものはない。コツコツと真面目に誠実にやらなければ、長続きはしない」と語る井上社長の言葉には重みがある。
 釣場はこれから秋にかけ、34年目の最シーズンを迎える。

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