恭誉建設、汚染土壌と戦い続ける/社運を賭けた新製品


目標を持ち続ける山下社長

目標を持ち続ける山下社長


 恭誉建設(相模原市中央区陽光台)の山下操社長の経歴は異色だ。菓子問屋、重機のメンテナンス技術者、そして建設会社…。大手ゼネコンの下で仕事をしていたときは、中東やアフリカでの仕事も経験した。湾岸戦争直前までイラクにいた。帰国後も経営者として、会社の栄枯盛衰も嫌というほど経験した。そんな山下社長が辿り着いた道が、環境ビジネスだった。汚染土壌をきれいにしたい―。そのことがライフワークになった。現在76歳。「目標を持ち続けることが原動力」とする山下社長。開発した「汚染土壌改良材」を広めるため、各地を飛び回っている。(千葉 龍太)

■上京への思い

 山下社長は、熊本県天草市の出身。学生時代の成績は上位だった。地元高校に進学するが、2年生で中退する。「テスト勉強だけのために学校に通いなくなくなった」と、活躍できる〝居場所″を探した。
 それからは、地元の菓子店に入った。菓子職人として修行。4年後、山下社長は、自分の店を構える。といっても、キャンディーの専門店だ。他地域の菓子店に卸す「製造問屋」にした。「小さな菓子店であるより、広く商売がしたい。それで問屋になりました」と山下社長は振り返る。
 商売は順調だった。とはいえ、20歳を過ぎたばかり。野心も大きい。腰を据えるには、若すぎた。〝東京″に対する憧れも強かった。そして、ついに店をたたんで、上京を目指すことにした。
 大阪市内の土木建築業者で数年間勤務した後、東京オリンピックが開催された1964年、念願の上京を果たした。
 就職先は、川崎の重機関連業者。建設現場で使う油圧ショベルの販売や保守を主力業務としていた。菓子職人だった山下社長にとって、機械は畑違い。ただ、がむしゃらに仕事をしていくなかで、自然と技術を身につけた。入社して1年半。気づけば、現場の班長になっていた。
 だが、もともと、自分の店を持つほど、独立心が強かった。どんなに出世しても、サラリーマンでは満足できなかった。上京して4年。「恭誉重機」をスタートさせた。得意先が愛川町にあったため、相模原市内で起業した。 

■海外との往復

 最初は、以前いた会社と同じく、油圧ショベルなどの修理を行っていたが、それだけでは拡大は見込めない。翌年には現在の「恭誉建設」に変え、大手建設会社からの工事を請け負う。
 時は高度成長期。当時首相だった田中角栄氏の「日本列島改造論」の時代だ。道路やビルの建設ラッシュが起こっていた。
 恭誉建設も、成田空港の建設工事に携わるなど、ゼネコンの下請けとして着実に成長した。最盛期には売上高40億円を突破した。
 活躍の場も海外に広がった。イラクの発電所や病院建設、アフリカのニジェール共和国のウラン鉱石採掘工事…。日本と海外を往復する日々が10年以上も続いた。「湾岸戦争直前までイラクにいました。帰国が一歩遅かったら、危うく人質になるところでしたよ」

■転換迫られる

 しかしながら、バブル崩壊とともに、国内での受注は減少の一途をたどる。どの時代も、景気が悪くなると、真っ先に煽りを受けるのは、下請け企業だ。
 落ち込みを目にしながら、山下社長が考えたのが〝脱下請け″。それも業態を大きく変える必要があった。
 着目したのが土壌汚染だった。長く土木工事に携わってきただけに、「いずれは汚染が社会問題となる」と感じていた。
 その一つが、建設工事の現場で「地盤の固化」などに用いられるセメント系固化剤。毒性が強い「六価クロム」が含まれている。皮膚に付着すると皮膚炎や腫瘍の原因になり、体内に蓄積すると発がんの恐れがある。
 水に溶けやすく、雨での流出や地下水汚染なども懸念される。
 山下社長は、六価クロムで汚染された土壌を無害化する製品の開発に着手。外部から専門家を招いた。もはや引き返せない―。
 まもなくリーマンショックが起こり、建設業界にも逆風が吹いた。多くの下請け業者は倒産するなか、山下社長らは、必死で開発に打ち込んだ。

■環境メーカー

 08年。ついに製品化にこぎつけた。製品は「土壌元気君」と名付けた。六価クロムなどで汚染された土壌に撒いたり、セメントに加えると無害化できる。現在までに汚染対策として、全国約100カ所で採用されている。東日本大震の災害復旧工事にも使用された。
 同製品は、相模原市「トライアル発注認定制度」、国土交通省「フロンティア事業」にも採択。これで普及に向けた準備を整えた。
 今の恭誉建設は「建設」と付くものの、実質は立派な環境材メーカー。さまざまな紆余曲折を経て、見事に変ぼうを遂げたのだ。
 76歳の山下社長。「年齢を重ねなければ、咲かせられない花もあります。これからの自分の使命は会社を上場させること。とにかく立派な会社にしたい。絶対にできると思っています」と目を輝かせる。
 いくつになっても目標を持ち続け、走り続ける経営者がいる。肉体はいずれ衰えるが、気持ちだけは決して老いない―。
 山下社長は、それを実践しているように思えた。(2013年9月10日号掲載)

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