相模福祉村、新風起こす若きリーダー/「わが街の文化に」が夢


日々奔走する赤間理事長

日々奔走する赤間理事長


 福祉業界に新風を巻き起こしている若きリーダーがいる。特別養護老人ホームや知的障害者更生施設。社会福祉法人・相模福祉村(相模原市中央区田名)の赤間源太郎理事長は、47歳にして運営の最前線で活躍する。県内の業界ではいち早く、品質・サービスの国際規格「ISO9001」を取得。グループの事業所数も60を超えた。といはえ、ここまでの道のりは、決して平たんではではなかった。これからの人生、何に打ち込めばよいのか―。20年以上も前、大学を卒業したばかりの赤間理事長は、「自分探しの旅」に出た。    (千葉 龍太)

 ■陸上で新記録

 中央区田名にある特別介護老人ホーム「縁JOY」(えんじょい)。福祉村グループの主力施設の一つだ。
 施設長も兼務する赤間理事長は、ここにオフィスを構える。取材で施設内に入ると、すれ違う職員一人ひとりが挨拶してくれた。元気もいい。
 赤間理事長の一日は、朝の清掃から始まる。午前7時には到着して、施設周辺を入念に清掃していく。
 父は元県議会議員へと身を転じ、ゼロから福祉グループを立ち上げた一之氏(現代表)。
 2代目だからこそ、人一倍努力し、誰よりも汗を流す。
 入所当初、そう考えて始めた清掃活動も、すでに20年以上続けている。
 地元・相模原で生まれ育った。今でこそグループの運営に奔走するが、学生時代からさまざまな経験を積んできたという。
 上溝南高校時代、1年余り在籍した陸上部では、走り幅跳びの選手に抜擢された。2年生のときには県内の新記録を達成する偉業を、やってのけた。
 赤間理事長いわく「つい最近まで記録は破られることはなかった」。やがてダンスパフォーマンスにも魅了され、陸上部を退部。同級生たちと器械体操同好会を立ち上げる。都内の大学に進学後は、オートバイにも夢中になった。

 ■卒業後に渡米

 大学卒業を控えても、将来、やりたいことが見つからなかった。
 そこで、海外で「自分探し」をしようと渡米を決意した。
 カリフォルニアを拠点にした。たまたまスキューバダイビングが好きだったこともあり、現地で知り合った仲間たちと一緒に、店をやろうということになった。
 ところが、ちょうどその時期、父の選挙を手伝うことになり、帰国することになった。それから現在に至る。
 まもなく、父が運営していた知的障害者更生施設の従業員になる。1991年のことだ。
 「(父が施設を運営していた関係で)子どもの頃から自宅に障がい者の方が遊びに来て、接していたので、仕事には馴染みがありました」
 専門知識こそなかったが、現場に入りながら必死で覚えた。
 「今思うと、福祉の原点はここで学びましたね」と振り返る。

 ■新しい感覚

 とはいえ、障害者や福祉施設に対して、まだまた認知が乏しい時代。
 同業者を見渡せば、入居者に対する職員の態度も厳しいものだった。今では当たり前となった〝サービス〟の発想すらなかったという。
 「(業界には)古い体質が残っている。本当にこのままでよいのか」と違和感を覚えた。
 福祉をしながら、入居者の立場に立ったサービスをいかに提供できるか―。そんな思いが強くなった。
 介護保険制度が始まる2000年、「ISO9001」を認証取得した。無論、県内の同業者では初めてだ。しっかりとした運営、サービス…。ISOのPDCAを回すことで、より向上できる。〝福祉マインドとサービスの両立〟に向けた挑戦が始まった。
 業界に先駆け、「新しい感覚」を次々と導入していった赤間理事長。しかし、改革には当然、批判も付きまとう。「サービスは金儲け」と否定する同業者すらいた。
 それでも、決して手を緩めることはなかった。こうして相模福祉村は、今では、県内でも有数の規模を誇る社会福祉法人に成長した。
 もちろん、礎を築いてくれた父・一之氏に対しては「尊敬すべき存在。いつかは追いつきたい、永遠のライバルでもあるとも思っています」との気持ちも忘れない。

 ■「街の文化」に

 赤間理事長には夢がある。それは、相模福祉村を「街の文化」にすることだ。社会福祉法人の役割とは何か。今でも自問を続けるが、「福祉の枠を超えて、地元の人々の生活まで、入り込めるような存在になること」だと考える。
 多くの人にとって、〝福祉施設〟とのかかわりは、自分が高齢者になってから、あるいは身内が認知症になったなど、長い人生においても一時期だけのことではない。
 地域には、引きこもりや生活保護者など、救いの手を求めている人も少なくないはずだ。赤間理事長は言う。「地域に飛び出し、幅広いことにも対応するのも役割だ。『福祉村があるからこそ街が住みやすくなった』と言われる存在になりたい」と。
 理事長として奔走する今も、模索する毎日という。それでも、自分探しで渡米してから20年以上―。今ではグループを率いるリーダーの顔へと変わった。人生の旅路も続いている。(2013年8月1日号掲載)

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