高木伸幸さん、「小児がんの子供を守ろう」/署名活動へ賛同の輪広がる


愛児を難病で失った高木さん

愛児を難病で失った高木さん

 「小児脳幹部グリオーマ」という難病で最愛の娘を亡くした父親が、多くの人たちにこの病についての理解を深めてもらい、国による治療体制の確立などを求めるための署名活動に立ち上がってから3年。同じ悲しみを共有する人たちと手をつないだこの活動は多くのマスコミ機関や医学専門雑誌などで紹介され、共鳴の輪を広げている。昨年10月には塩崎恭久厚生労働大臣に面会して、約2万3千筆の署名と要望書を提出するなど、会の活動は着実に成果を積み重ねつつある。
(編集委員・戸塚忠良/2017年3月10日号掲載)
■グリオーマ

 小児脳幹部グリオーマは小児がんの一種で、脳の中にある脳幹の内部に悪性腫瘍ができる難病。国内で年間50人から100人が発症し、治療法が確立していないため、診断と同時に余命宣告され、ほぼ50%前後が1年以内に亡くなっているという。

 昨年、厚労大臣に要望書を提出した「小児脳幹部グリオーマの会」の署名プロジェクトリーダーで、相模原市中央区に事務局を置く「トルコキキョウの会」代表理事の高木伸幸さん(45)も、最愛の娘・優衣奈さんをこの病で失った。

 相模原市生まれの高木さんは大和市内に店舗を構える整体師。元気だった優衣奈さんが突然、体の不調や視覚の異常を訴える様子を見て、「脳に関係がある疾患ではないか」と直感。最終的に北里大学病院で詳しい検査を受けた結果、小児脳幹部グリオーマと診断され、余命1年と宣告された。

 「放射線治療で一時的ながんの縮小、すなわち寛解しか対処方法がありません。効果があれば体が動くようになりますから、その間にいい思い出を作ってあげてください」というアドバイスも添えられた。

■娘を失う

 しかし、父親として娘の命を何とかして救いたいと必死になったのは当然である。

 「世界のどこかに奇跡のような治療法があるのではないか、何か新しい薬ができたのではないかと血眼になってネットを検索した。そんな中で、優衣奈の容体は日に日に悪くなった。親として見ていられなかった…」

 そうした日々を送るうち、同じ苦しみを持つ親やすでに自分の子どもを見送った親、その親類、医師らで組織している小児脳幹部グリオーマの会を知り、会員に加わった。「情報交換し合うことでやすらぎを得ることが少なくなかった」という。

 13年1月から入院していた優衣奈さんは4月になると元気を取り戻し、夏の間は走れるまでに回復した。放射線治療による寛解の現れだった。

 夏の沖縄への家族旅行が最後の思い出づくりになった。旅行から帰ると優衣奈さんの容体は日を追って悪くなった。それでもある日、看護師が「優衣奈ちゃんはどうしてそんなに頑張れるの」と聞くと、「だって私、パパとママの子だもん」と答えたという。父親の実家で眠るようにしてこの世を去ったのは同年11月。発症からわずか10カ月、11歳というあまりに短い命だった。

■広がる共鳴の輪

 優衣奈さんの生前からグリオーマの研究体制の未整備や、認定申請手続きの煩雑さなどを痛感していた高木さんは、愛児の死を無駄にすまいと翌月から、国に対して研究費の増額と手続きの簡素化などを求める署名活動を始めた。

 14年1月にはネットを通じた署名活動にも着手し、衆参国会議員とりわけ参議院厚生労働部会正副部会長との面談などを通じて活動の周知に努め、マスコミ報道の後押しもあって賛同者の輪を広げてきた。

 署名活動を展開するうち、自分も孫をグリオーマで亡くした歌手の菅原洋一さんが強い共感を示し、16年9月に開いたチャリティーコンサートの冒頭、相模原市議会議員宮崎雄一郎氏司会のもと、参院厚生労働委員会の羽生田俊委員長に署名簿を提出するというエピソードも生まれた。

 10月の厚労相への要望書は、「難治性小児脳腫瘍の研究体制の確立、グリオーマの治療研究の推進、患者認定の手続き簡素化、障害区分認定の迅速化」など6点を求め、「日本での治療研究は他の欧米先進国と比べて大きく遅れています。小児脳腫瘍に精通する医療関係者、そして国が一体となってこの難治性疾患の研究を進め、一日も早くこの病気が克服されることを願います」と訴えている。 

 今秋には啓発のための公開シンポジウムを開催する予定だ。

■署名活動への思い

 高木さんが代表を務める「トルコキキョウの会」の名称は、優衣奈さんの葬儀の日、棺に寄り添っていた高木さんの妻の足の上に、まるで早逝した娘の形見でもあるかのようにひとひらのトルコキキョウのつぼみが落ちたことに由来する。

 難病で逝った娘の鎮魂の思いをこめた署名活動。それは父親の使命というべきだろうか。

 高木さんは「使命だとは思わない。だが、何かにつき動かされているような気がする。もしかすると、優衣奈に動かされているのかもしれない」と、しみじみとした情感がこもる言葉でそう語る。

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