童人夢農場(ドリームファーム)、外食黎明期からピザにこだわり30年/自家製ピザ専門店


「ピザ専門」にこだわる梅澤オーナー

「ピザ専門」にこだわる梅澤オーナー

 ファミレスやファストフード等の外食店舗が群雄割拠する国道16号沿線。夜間は華やかな店内照明やネオンサインに彩られ、かつて〝外食街道〟との異名もとった、そんな景観が形成されたのは1980年代半ばだ。
 
 ただ、当時の相模原市は駅周辺でも田畑や空き地が珍しくない時代。旧津久井郡域ともなれば、推して知るべしである。
 
 「郡全域でも城山町にファミレスが1店あった程度」と振り返る梅澤勉オーナーが、鬱蒼とした森林に包まれた地に「童人夢農場(ドリームファーム)」(相模原市緑区青山)をオープンしたのは85年のこと。
 
 津久井湖や相模湖といった観光地に近いとはいえ、さして交通量の多くない国道412号沿いに、当時まだ市民権を得ているとは言い難いピザを専門とする外食店舗を開いたのは、まさにベンチャービジネスそのものだった。
 
 大学で食品工学を学び、パン会社に就職。製造部門に14年間従事し、いずれは工場長という前途が見込まれながら、退職、起業の道を選択した。
 
 ピザがイタリア料理の一つであることは、今では子供でも知っているが、バブル景気が到来し、〝イタ飯〟ブームが起こるまではそうではない。都内をはじめほんの一部の店で扱っていたピザはアメリカ伝来のやや際物的な存在だった。
 
 「49年生まれの私にとって、アメリカ文化はまさに憧れの存在。起業するなら流行、ファッションの観点からもニッチなものをやりたかった」と梅澤オーナーは話す。
 
 パン作りの豊富な経験から、小麦粉の取り扱いには自信があった。不安がないわけではなかったが、「夢のよう」と心躍らせる家族に励まされ、実家のあった約1984平方メートルの土地にアーリーアメリカン風の住居兼店舗を建設。夢をスタートさせた。
 
 軌道に乗るまで3年。珍味ではなく、定番の一つとして口コミで常連客を増やした。が、その頃、初めてイタリアに渡り、オリジナルのピザ、エスプレッソコーヒーを体験したことで、大きな衝撃を受けた。このままではいけない。
 
 その後、イタリアのピザ職人学校でピザ作りを習得するや、90年に現地から窯を取り寄せた。
 
 こうしてピザは全てイタリア風に切り替えようとしたが、従来メニューの熱烈なファンがいたため、両刀メニューで現在に至っている。
 
 さて、多くの方にとっては、イタリア料理といえば、ピザを語る前にまずパスタがくるのではないか。しかし、これだけイタリア料理が世に定着しても、同店で扱うのはあくまでピザだけ。
 
 「ピザを始めたのはパン作りの経験が生かせるから。ともにイタリア料理。小麦粉が原料といっても、製法は全く違う。本物を提供する自信のないもので商売するのは、お客さまに失礼」と梅澤オーナー。
 
 どの分野でもそうだが、この崇高なこだわりを次代に引き継いでいくことが、今後の大きな課題になる。   (編集委員・矢吹彰/2015年6月1日号掲載)

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