谷口隆良弁護士、地裁支部創設に尽力/相模原の隅々に法の恩恵を


司法で地域活性化を目指す谷口弁護士

司法で地域活性化を目指す谷口弁護士


 相模原の隅々に法の恩恵を―。2002年の弁護士法の改正により、弁護士法人の設立が可能になったことを受け、神奈川県下で最初に弁護士法人を設立し、相模原市内に2カ所の法律事務所を構えるのが、弁護士の谷口隆良さん(70)だ。今年20周年を迎えた「横浜弁護士会相模原支部」の初代支部長を務め、かつては「横浜地方裁判所相模原支部」の創設にも尽力した。その活動の根底にあるのは、地元地域の活性化と発展だ。(本橋 幸弦/2014年10月10日号掲載)

■弁護士への道

 谷口さんは1944年、相模原市南区東林間の農家に、姉4人の末っ子、長男として生まれた。

 幼い頃から勉強は好きで、県立厚木高校から、現役で早稲田大学法学部へと進んだ。弁護士を志したのは大学3年生の時だった。「決して高まいな志があったわけではなかった」と谷口さんは笑う。

 「3年生の時、担当教授に呼び出され、このままの成績なら良い企業の就職の世話はできないと言われた。当時、学内には司法試験のためのクラブが多数あり、弁護士なら学校の成績は関係ないと一念発起した」と当時を振り返る。

 谷口さんは、司法試験のクラブに入ると、人が変ったように試験勉強に明け暮れた。大学の図書館で勉強していた時、当時、早大に在学していた女優の吉永小百合さんが目の前の席に座ったことがあった。しかし、「集中していて、友人に指摘されるまで、まったく気付かなかったこともあった」という。

 大学4年で挑んだ1回目の司法試験は不合格。留年し、2回目の挑戦で見事合格。24期として、大学在学中に司法試験の現役合格を果たした。

■司法過疎を無くせ

 2年間の司法修習生の時に、同期で現在の妻である弁護士の優子さんと知り合い結婚した。

 その後、横浜市の弁護士事務所に3年ほど勤めた後、横浜で独立開業した。しかし、地元に戻って地域に貢献したいという思いを募らせた。

 「小中高の友人や農協の理事を務めていた父の地縁などもあり、自分の生まれ育った相模原で、司法サービスを提供したいという思いが強くなっていった」と話す。

 横浜で独立してわずか数年で、相模原に事務所を移した。東京の法律事務所に勤めていた妻の優子さんを呼び、「相模大野」と「市役所前」の2カ所で事務所を開設した。

 複数事務所を構えたのは、広い相模原で隅々まで、地域に根差した司法サービスを提供したいと考えたからだ。

 しかし、当時の相模原には「簡易裁判所(家裁出張所併設)」が1つしかなく、人口急増に合わせた司法サービスの要請を満たすことができない状況だった。

 谷口さんは、地元弁護士の有志らとともに、「横浜地裁相模原支部」の創設に動き出す。

■支部創設の運動

 「当初は、地裁支部の新設を訴えようにも、どこにどうしていいのか分からない状態だった」と、谷口さんは振り返る。

 活動のなかで、結局は「最高裁事務総局」が動かなければ、現実は変わらないことを知った。

 谷口さんら有志は、10年以上にわたる粘り強いPR活動を続けた。賛同の輪は徐々に広がり、当時の舘盛静光市長や地元衆議院議員の協力も得られるようになった。

 そこに、当時の中曽根康弘内閣の「行政改革路線」が追い風となった。行政改革の一環で、司法の分野でも、全国にある242支部のうち、41の地裁乙号支部及び簡裁の廃止が進められた。

 「これまで地裁支部の設置を政府や最高裁に働きかけても、裁判所の新設・変更など前例がないと、のれんに腕押しの状況が続いていたが、時勢の変化で裁判所の統廃合が議論されるようになった。これは好機だった」

 そして89年、ついに最高裁裁判官会議は、「全国の地・家裁支部のうち41の乙号支部の廃止と、相模原支部と苫小牧支部の2カ所の支部新設」を定める最高裁規則の一部改正を行った。

 晴れて94年、「横浜地裁相模原支部」は、全国で最も新しい支部として新設された。

 現在、相模原・座間地域を管轄し、管内人口は85万人を超える。市長や国会議員、弁護士、市民らが連携し、地域が最高裁を動かした瞬間だった。

■地域で精力的に

 地裁支部の新設に伴い、「地域の期待に弁護士が応えられるように」と、谷口さんは地元弁護士の18人とで「横浜弁護士会相模原支部」を設立。その初代支部長に就任した。

 谷口さんはその後、桜美林大や青山学院大で教鞭を執り、現在は麻布大の理事を務める。

 また、これまでに相模原ゴルフクラブの理事のほか、相模原市の人事委員会の委員長を務める。

 地元の大学や産業、行政などでの多彩な活動の根底にあるのは、地域の活性化と発展、そして地元愛だ。
 

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