ウッド、遺族が安らげる場所に/心を込めた霊園開発を


「人との縁が大切」と臼井会長

「人との縁が大切」と臼井会長


 霊園の開発や管理などを手掛けるウッド(相模原市中央区星が丘)。現在は、東京都内や神奈川県内で9カ所の霊園の管理や開発を行っている。そこに約2万の人が安らかに眠っている。ここまで会社を大きくしたのは、創業者である臼井一政会長(64)だ。サラリーマン生活を経て、仲間とともに不動産業界に打って出たが、立ち上げ当初は厳しかった。それでも地道に努力を重ね、会社を軌道に乗せた。その後、自ら独立し、霊園開発に乗り出す。「すべては、皆さんの協力があってとのこと」と語る臼井会長。人の縁を大事にしてきたからこそ言えるその言葉に霊園づくりの想いを見た。                      (船木 正尋/2014年4月10日号掲載)

 ■祖父の影響で

 臼井会長は町田市出身。小学校から高校まで町田で過ごす。高校卒業後は、母の勧めもあって相模原に工場を持つ大手ビン製造メーカーの変電所に勤めた。
 工場などが稼働しているため常時6万6000ボルトを受電している。
 臼井会長は「秋の台風シーズンは大変でしたね。雷が落ちたりして、送電がストップするんですよ。復旧作業のため寝る暇もなかったです」と振り返る。
 仕事そのものは順調だったが、自分のなかで不動産業をやってみたいという思いが沸き上がっていた。母方の祖父が営んでいた不動産屋を手伝ったことがきっかけだった。臼井会長は、サラリーマンの傍ら、土地や建物の仲介を行っていた。
 そこで、不動産業という仕事の醍醐味を知った。
 「土地や建物を売り買いすることも非常に楽しかったのですが、特に多くの人と出会えることが何よりもうれしかった」
 1973年、臼井会長は一念発起し、宅地建物取引主任者の資格を獲得する。24歳の時だった。
 しかし、当時は、第1次オイルショック。
 経済不況のあおりを受けて、不動産業での独立は、断念せざるを得なかった。

 ■開業を果たす

 しかし、チャンスは巡ってくる。その3年後、臼井会長の不動産業をやたいという思いに賛同した仲間と厚木で会社を立ち上げた。
 事務所は8畳一間。7人社員で始めた。臼井会長は専務として采配を振るっていたが、当初は厳しい経営状況だった。お金がない臼井会長は10カ月間、昼食はカップ麺で過ごしたという。
 「本当にお苦しかったですね。今でも、そのカップ麺を見ると当時のことを思い出します」と臼井会長。
 だが、その苦しさも不思議な縁で脱出することになる。臼井会長が、厚木市内の畑を何気なく眺めていた時だった。
 「あんたは不動産屋かね」と畑作業をしていたおばぁちゃんから話しかけられた。なんとそこの地主だったのだ。話しがとんとん拍子に進み、約1000平方㍍の土地を売ってもらうことに。臼井会長の人懐っこい性格もあり、その地主から実印なども預けられるほどの信頼を得た。
 臼井会長は「この土地を売ってもらったことで、軌道に乗りました。今の霊園開発もそうですが、色々な人たちの協力があって、今日があると思っています」と語る。
 その後、事務所を厚木市中依知に移転をすることに。これもまた臼井会長が培ってきた人脈を使って、建築資材や建設費などは、無料で提供してもらった。
 臼井会長は話す。「『うちの会社をこれから大きくなる。仕事を回すから』といって、建築費用などを無料にしてもらった。本当に助かりました」

 ■ 相模原で独立

 だが、仕事が軌道に乗るにつれて、社内の雰囲気は緩慢になっていった。そこで自分一人で独立しようと決断する。
 現在の相模原市役所の隣に事務所を構えたのだ。ウッドの前身である神奈川県央不動産の誕生だ。最初の5年間は厳しかったものの、順調に業績を伸ばしていった。その後、本社移転を行い、社称をウッドに変更する。

■「縁」を大事に

 98年の時に霊園開発の相談を受けた。霊園の拡張をしたいというのだが、地主がなかなか売ってくれないという。
 早速、臼井会長は、その地主の元へ。
 そこで話しているうちに、その地主の甥が、会社の社員だったことが分かたのだ。
 その地主からは「うちの甥から色々と世話になていると聞いている。臼井さんだったら、売ってあげよう」と言われたという。
 臼井会長は「地道な努力が、こうした縁を生んだと思っています。本当に思うことは、人のつながりが一番大事」と。
 これをきっかけに本格的に霊園開発に乗り出していく。訪れた人がくつろげるような霊園づくりを行おうと、枯山水の庭や、法事などができる食事処なども完備した。
 また、「天国への手紙のポスト」も設置した。遺族が亡くなった方への手紙を届けるというもの。その手紙を住職が月に一回、お焚き上げをするという。
 「墓地は魂が宿る場所です。お墓をお参りに来る人は亡くなった人の思いを刻んで手を合わせる。そういう方のために心を込めて霊園をつくっていくのが、私の使命だと思っています」と語る臼井会長。
 何よりも墓地に眠る人のために、残された遺族のために、霊園づくりを行う臼井会長。こうした思いが、今の仕事の原動力になっている。お墓を通じて亡くなった方へと想い伝える場所づくりを。

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