サンライズ、リストラからの船出/社員団結で危機克服


「社員は家族」と話す紙透社長

「社員は家族」と話す紙透社長


 かつてリストラを進めた幹部と、リストラされた社員たちが再挑戦している会社が、ここ相模原にある。中央区中央のIT(情報技術)企業、サンライズだ。創業者は紙透七藏社長(65)。大手企業に在籍していた時代、人員整理を進めるため、子会社に派遣された。断腸の思いで決行した紙透社長だったが、責任感が許さず自らも退職。リストラした社員を引き受けるために、起業する道を選択。まるで日の出(サンライズ)が昇るように、同社は産声を上げた。紙透社長の〝男気″だけで立ち上げた同社だったが、その後はさまざまな苦難が襲う。しかし、それらを克服した源となったのは、社員たちの団結力だった。(千葉龍太、船木正尋)

■進学で上京

サンライズの主力事業は、企業内ネットワークの保守、管理。現在、大手企業などに派遣するシステム・エンジニア(SE)を60人ほど抱えている。
 紙透社長は鹿児島・阿久根市の出身。
 高度成長期にあった1967年、大学進学で上京。
 在学中、当時は普及していなかったコンピュータに興味を持つようになった。昼間は大学、夜はコンピュータの専門学校に通う日々を過ごした。
 当時は学生運動の最盛期。「勉強もやりましたが、学生運動も熱心にやりましたね」と紙透社長は振り返る。 
 やがて東京・渋谷の大手ソフト会社に就職。技術者として取引先工場のシステム構築などに携わった。
 最初の赴任地が、相模原に事業所がある大手建機メーカーだったという。
 見るのもすべてが勉強だった。がむしゃらに働いた。サラリーマン生活がこれまでの人生の大半を占めた。気付けば、部下500人を率いる部長になっていた。

■原点の地へ

 しかし、バブル崩壊の「失われた10年」で状況が一変することに。会社の業績も低迷した。
 94年、紙透社長が任せられたのが、町田市内にあった子会社の人員整理。リストラだ。
 「かなりストレスを感じました。会社を守るとはいえ、本当に辛かったです。中には、故郷の両親に仕送りをしていた社員もいました。身がちぎれる思いでしたね」と紙透社長は苦笑いを浮かべながら、当時の葛藤の様子を語った。
 リストラで途方にくれる部下たちを放っておくことが、紙透社長の心が許さなかった。
 自らも退職した。そして96年、リストラされた社員27人と都内でサンライズ工房(現サンライズ)を立ち上げた。
 資本金は出しあった。間もなく自らの仕事の原点である相模原に移転。現在に至る。
 独立後、紙透社長は、かつての人脈を生かして、仕事を相次ぎ獲得していった。
 大手企業からシステムの2000年対応を一手に引き受けるまでにもなった。会社も順調に成長を遂げた。

■苦渋の決断

 ところが08年に大きな転機が訪れる。日本経済に暗い影を落とした、米リーマン・ショックだ。
 足元を見渡すと仕事量も4割ほど激減。社員の給料をカットしなくてはならない。苦渋の決断だった。
 紙透社長は語る。「社員に合わせる顔がなく頭を下げました。『社長は自分でもいいのか』と聞いた。そうしたら、満場一致で『いいですよ』と言ってくれた。本当にうれしかった。同時に、これからの危機を乗り切る覚悟も生まれました」と。
 自分を信頼してくれた社員たち。苦しい経営状況の中、文句も言わず一緒に働いた。
 取引先の地元企業も応援してくれた。紙透社長は周囲から支えられ、危機を乗り越えた。会社の業績はわずか1カ月で回復。
 給料もリーマン・ショック前の水準まで戻すことができた。「自分にとって社員はもはや家族のような存在です」と紙透社長。そうした経験が、「地域に恩返しを」との思いに発展するまで、さほど時間は掛からなかった。

■地元へ貢献

 相模原への恩返し。思い起こせば、システムエンジニアとして初めて働いたのも相模原の地だった。
 ここでの経験こそ、紙透社長にとって、仕事の原点といえる。
 そんな紙透社長は、リーマン危機からしばらくして、「さがみはら情報通信サービス協同組合」を設立した。
 メンバーは、いずれも市内の同業者だ。今まで単独で戦ってきたが、これからは地域の同業者とともに力を合わせていこうという〝ウィンウィンの関係〟を築く。 
 そして最終的なゴールは市内にITを普及させ、雇用も創出することだ。
 「地元の中小企業を見ると、ITにお金をかけ過ぎだと思います。
 必要以上のシステムを入れているからです。仕事量などに応じたシステムにすれば、大きなコスト削減になります。我々でIT相談室をつくり、診断していきたいと思っています」(紙透社長)。
 かつては景気低迷の煽りを受けたリストラで、紙透社長も社員たちも、一度は人生の窮地に立たされた。
 それだけに、地域経済が良くなって、リストラのない、元気な中小企業を増やしたいという思いは、人一倍強い。紙透社長たちの挑戦はこれからも続く。 (2013年10月10日号掲載)

…続きはご購読の上、紙面でどうぞ。