クライムNCD、小なりとも王道をゆく/〝超優良企業〟生んだ信念


逆境をプラスにした高橋会長

逆境をプラスにした高橋会長


 小なりとも王道をゆく。そんな企業が相模原市南区下溝にある。金型のCAD/CAMデータ製作のクライムエヌシーデーだ。自己資本比率9割以上。創業以来、黒字決算を続ける〝超優良企業〟と言っても過言ではない。創業者は高橋百利会長(73)。まさに「波乱万丈」の人生を歩んできた。結核、就職失敗、転職先でのレッテル、上司との対立、そして48歳で起業…。いくつもの苦難に直面しながらも、揺らぐことのない信念と負けん気の強さで、逆境をプラスへと変えた。男として、人間として、どうあるべきか―。高橋会長の生き様から学ぶことは少なくない。        (千葉 龍太)

■結核で断念

 高橋会長が生まれ育ったのは宇部市。中学卒業後は家計を助けようと就職を考えていたが、学校でも成績が上位だったため、周囲に進学を勧められた。そして、地元の名門、宇部工業高校に入学する。
 そこでも成績上位を維持。卒業を控え就職活動を始めた。受けたのは、広島にある東洋工業。現在のマツダだ。自信はあった。
 ところが、健康診断で結核にかかっていたことが判明した。
 結局、卒業後は地元の小さな設計事務所に入ることになった。通院も余儀なくされた。高橋会長は振り返る。
 「同級生はみんな、よい会社に就職していました。悔しくて死にたい思いでしたね」
 給料は、図面を書いた分だけ支給される出来高制。「いつか見返してやりたい」。そんな思いから、人よりも早く、多くの図面をこなした。病気も克服していった。都内にある自動車メーカーの中途採用を知り受験。今度は内定した。こうして19歳で上京することになった。

■勉強の日々

 大企業への転職した高橋会長だったが、同期たちのほとんどが名門大学の出身。自分は工業高校卒。
 「馬鹿にされたくない。偉そうな大卒の連中には負けたくない気持ちありました。ただ、自分を見つめると、知識が少ないことに気付きました」
 月、火、木、金曜日。これらの日を「勉強日」に決めた。仕事を終え帰宅すると約2時間、専門書を読みあさった。金型から溶接、熱処理、鋳物…。
 宇部時代の経験も幸いした。出来高制だったため、必死で製図のスピードを磨いた経験が、実力をつけていた。高橋会長の場合、簡単な金型だと、書き終えるまで1週間程度。会社の予定期間の倍以上の早さだ。しかも正確だった。
 余った時間は金型やプレスの生産現場に行き、職人の指導を仰いだ。専門書で勉強するうちに、「現場で確かめてみたい」との思いが強くなったためだ。気付けば25歳でリーダーになっていた。部下には大卒もいた。
 「あのとき、結核で就職を棒に振ったからこそ、今日がある」と感じたという。

■技術部長に

 2年後、転機が訪れる。当時は労働組合運動が端境期を迎えていた。いつの間にか巻き込まれ、それに嫌気が差していた。
 そんな矢先、大手プレス部品メーカーに転職した元の上司が、高橋会長に白羽の矢を立て、転職することになった。
 とはいえ、閉鎖的な会社組織。〝外様〟である高橋社長や、他の転職組に対する風当たりは厳しかった。転職組全員は「落武者」というレッテルもはられた。
 「失敗したと思いましたよ。周囲から認めてもらわなければと危機感を感じました」
 チャンスは1年後に訪れた。トヨタ自動車から「10日の特急で仕上げてほしい」と、金型の発注案件があった。複雑な構造の図面だったにもかかわらず、担当した高橋社長は、わずか4日で書き上げた。
 結局、同僚や上司、役員たちの〝度肝を抜く〟ことになり、同時に尊敬も集めた。
 高橋会長はやがて技術部長にまで上り詰める。しかし、新開発した工具測定器の事業化を巡り、経営陣と衝突した。
 「(当社のような)大企業の技術部長が工業高校出では様にならない」と、自分に対する上司の陰口も耳にした。「もう会社にいる意味はない」とスピンアウトを決意。相模原でクライムNCDを設立した。48歳だった。
 高橋会長は断言する。
 「起業にしては遅いと言われますが、人生や社会でいろいろな経験をしているからこそ強いんです」と。

■自信と誇り

 とはいっても、創業時の苦労はつきもの。退職金を運転資金につぎ込むも、まだ足りなかった。7つの銀行、信金を回るが、すべて空振り。8件目にしてようやく融資に取り付けた。
 そんななか、高橋会長には会社を成長させるために必要な確固たる考えがあった。
 「技術、財務内容とも一流の会社にするには、超一流メーカーと取引しなければならない」と、大手自動車メーカー各社に1年半、営業に足を運び続けた。
 1990年、ついに念願のトヨタ自動車から受注をもらう。今では名だたる大手自動車メーカーが取引先に名を連ねる。それでも、「乞食にはならない」と安い受注には決して応じない。
 「小なりとも王道をゆく」。波乱万丈を歩んできた高橋会長の信念だ。
 規模がどんなに小さくても、自信と誇りを持とう。そして一流の技術を磨こう。このことは、どんな会社にも言えるのではないだろうか。(2013年8月10日号掲載)

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