テクノハカルエンジニアリング/受変電設備・自家用発電機等のメンテナンス


「重電3社との取り引きは三本の矢」と但野社長

「重電3社との取り引きは三本の矢」と但野社長


 60名近くいる社員の大半は、取引先の休業日に出向いて仕事をする。そこで新たなものを作ったりするわけではない。

 テクノハカルエンジニアリング(相模原市南区東林間1-4-17、但野光良社長)が手掛けるのは、事業所内のインフラの要といえる受変電設備・自家用発電機等の保守・点検。作業を行う日、場所、内容とも、まさに裏方に徹した仕事である。

 1974年に弱冠27歳で同社を起ち上げた但野社長だが、それは当初の人生設計にはなかった。

 高校卒業後、福島県の南相馬から上京し、大手ビル設備会社でエレベーターの保守・管理業務に就いた。キャリアアップを目指し、そこで働きながら専門知識を学ぶべく夜間の大学進学を志したが、両立が認められず2年で退職。アルバイトで生活費、学費を捻出しながら工学部で電気工学を4年間、さらに法学部に編入して経営管理を2年間学んだ。

 卒業後は都心の大手タクシー会社に再就職し、総務・人事課に配属された。が、今度は職場環境の水が合わず、わずか10カ月ほどで退職。やむなく、アルバイト時代に培った技術・経験を生かし、電気設備保守の個人事業をスタートさせたことが、図らずも起業につながった。

 「サラリーマン生活がもう少し居心地の良いものであったなら、そのまま定年を迎えていたのではないか」と、但野社長は振り返る。
 ただ、たとえ起業が、確たる人生設計に基づいた自己実現の場でなく、会社勤めのしがらみから逃れ、自らの居場所を求めた結果であろうとも、そこからの成長の道程は見事なものだ。

 翌75年に株式法人化するや、積極的な営業と社員増員を図り、事業を拡張。飛躍のきっかけは、創業4年目に重電メーカーとの契約を取り付けたことだ。

 「重電メーカーの仕事は量的にも大きいが、何といっても最先端の設備に接せられる。スタッフの技術向上と利益の両面で大きな意義がある」と但野社長。

 こうして培った技術力と経験は当然、以後の営業力強化につながる。現在までに、重電5社のうち3社が同社の得意顧客となっており、売り上げ的にも3社計で全体の9割近くを占める。

 バブル経済崩壊後など、これまで危機が全くなかったわけではないが、創業40周年を間近に控え、ここ10年ほどは安定成長を続けており、今期(8月)は約5・8億円の売り上げを見込む。

 重電3社を「三本の矢」とする限り同社の屋台骨は揺るぎないが、課題がないわけではない。

 「この仕事は毎年決まって10月から3月が繁忙期で、それ以外は閑散期。繁忙期の仕事を漏れなく受注できれば、売り上げを大きく伸ばせるが、そこに人員を合わせるわけにはいかない」

 効率的な人員配置の追求、契約単価を引き上げる付加価値技術の創出など、今後の成長戦略が期待される。(2013年7月20日号3面掲載)

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