笑顔が素敵な鍼灸師であり、4つの鍼灸院の経営者でもある山内寿海(すみ)さん。目の不自由な両親の4女として生まれ、自宅で治療院を開業していた父母の愛情にはぐくまれて明るく活発な女性に成長。大学と鍼灸師養成の専門学校を卒業後、高校時代のクラスメートとともに鍼灸院を開業して女性起業家の仲間入りした。現在は第一線の鍼灸師として活躍するとともに、経営者として鍼灸の普及と後進育成に奮闘する日々を送っている。(編集委員・戸塚忠良/2016年4月10日号掲載)
■父を師として
寿海さんの父・谷内秀鳳さんは1972年、相模大野で開業。これまでに延べ30万人以上の患者に接し、厚い信頼を寄せられている。欧米での講演の実績も多く、2010年には東洋はり医学会副会長に就任した。
父親の施術を見ながら育った娘にとって、鍼灸はとても身近なものだった。「患者様の父への感謝の言葉を聞いただけでなく、私自身、小児ぜんそくやアトピー性皮膚炎、剣道での捻挫、にきび肌体質改善も、みんな父に治してもらいました」という。幼い頃からの体験を通して、鍼灸に対する信頼感が心の中にしっかりと根を下ろしたことは想像に難くない。
明治大学で学んだ青春時代に鍼灸師の道を歩むことを決意し、大学4年生と鍼灸師資格取得のための専門学校1年生をダブルスクールしていた。
その頃には税務などで治療院の仕事を手伝うこともあり、「鍼治療はこんなに素晴らしいのに、どうしてもっと世の中に広まらないのだろう」という疑問に捕らわれることもあった。
■鍼灸院開業
鍼灸師の国家資格取得後の2005年、高校時代の同級生、理恵さんと相模大野に「鍼灸院 秀鳳」を開業。運営会社である(有)コズモツリーを設立して代表取締役に就き、秀鳳さんを技術顧問に迎えた。
開業時、寿海さんは自分の思いを、『健康をトータルにデザインする』というフレーズに込めて発信した。
「すてきな人生を送るためには、患者さんご自身が自分の健康をデザインすることが大切です。だから身体のキュア(治療)だけではなく、ケア(予防)を心がけて頂きたいと思います。秀鳳は人間が本来持っている自然治癒力や免疫力を高め、バランスのとれた身体づくりを手助けします」
その発想を形にするのが本治法、つまり東洋の古典医学に依拠した診療だ。「本治法では、使用するツボが少ないため、体に負担をかけることなく、優れた効果をあげることができます」と説明する寿海さんの顔に自信の色がにじむ。
■秀鳳スタイル
2009年に相模大野に2つ目の鍼灸院を開設。2011年に橋本院を開設し、2014年には相模原市外に進出して横浜市都筑区に横浜院を新設した.
4院はいずれも駅近くにあり、院内は明るく清潔感あふれる内装が施されている。4院合わせて20人のスタッフは、全員女性。「診療はいつも初診という緊張感を持って行うため、初診料は設けていません」と寿海さん。
診療スタイルは、脈診を基本とし、身体のバランスの調整、背中のツボへの施術、不調や苦痛の原因箇所への施術という3段階のアプローチを基本にしている。「電気通電などは行わず、鍼と灸だけを使っています」という。
スタッフにこの技術を十分に習得してもらうため、1年間の技術研修と3カ月のインターン研修を実施している。また、鍼灸学生を対象にした初任研修や鍼灸師有資格者を対象にした伝習会などへの参加者も募り、後進の指導、育成に努めている。
■思いは高く
開業してから11年目。「不自由な体で鍼灸院を営んでいる両親の間に生まれたことは、私にとって生きる意味の源です。自分がしなければならないことがあると考え、父の技術と考え方を受け継ぎ、世の中にもっと広めたいという思いを力にして夢中でやってきました。患者様、スタッフ、家族を始め支えてくれる人たちに心から感謝しています」と柔らかな表情で語る寿海さん。
経営者として実績を積む中で強く感じるのは、「まだまだ鍼灸が広まっていない」ということ。「いろいろ受診して最後に鍼灸院の門を叩く患者様が少なくありません。そうではなく、初めに鍼灸を受診していただければと思います」
経営と共に子育てをしながら、「秀鳳」の事業が女性の生き方とどう関わりあっていくべきか、深く考える時間も増えている。
「女性が温かく楽しい家庭を営むためにも、社会で活躍するためにも、健康は何より大切。疲れや体調の悪さを改善するだけではなく、自分の目指す身体づくりをお手伝いし、安心して受診できる鍼灸を広めることが私たちの使命です。将来は秀鳳をスタッフが子供を連れて勤務したり、患者さんが子供と一緒に来院したりできるスペースも開設したいと思います」という言葉に熱をこめる。
秀鳳の発展は、経営者としてだけでなく、女性として、人間としての寿海さんの成長と重なりあっているのは間違いない。